月が綺麗ですねの件。

「月が綺麗ですね」っていう言い回しがありますね。遠回しな愛の告白ってやつなんですが。
今は昔、英語の授業かなんかの折に英語で書かれた西洋の小説家なんかを翻訳している若い子がおりました。若い子っていっても大学生で文学者の卵かなんかですが、気分を出すためにここはあえて若い子って言っときます。で、ですね、「アイラブユー」を「我、汝を愛す」と訳したわけです。今風に言えば「僕は君を愛しているんだ」です。ひねくれたり奇を衒ったりしないで、そのままですね。可愛いです。しかし、その若い子の訳した「我汝を愛す」を見た師匠がですね、そんな直接的な表現はあんまりよくないと言ったのです。昔の話ですから、その通りです。誰も面と向かって「我、汝を愛す」とか言いません。今だってそうですね。誰も面と向かって「僕は君を愛しているんだ」とか言いません。いや、言うかもしれませんが。でもそんなの照れるじゃないですか。いやーんです。で、師匠は「我汝を愛す」みたいな直接的な表現は好ましくない、「月が綺麗ですね」とでもしておきなさい、と言ったのです。
さてここで、この「月が綺麗ですね」ってのはどんな感じなんだろうと、この話を読んだ私は思ったのです。つまりですね。「あなたと見ているからか、今日の月はいつもより美しく見えますね」の「月が綺麗ですね」なのか。または「(ああ、君のことが好きだ、愛している、でも君のことを愛してるだなんてそんなの照れるから言えない、でもなにか言わないと場が持たない、なにか、言わないと)ああ、月が出ていますね」の「月が綺麗ですね」なのか。ということです。今これをお読みくださってる方は、別にどっちでもいいじゃんとお思いになるかもしれません。私も正直どっちでもいいと思います。文脈によるだろう、とも。
なんでこんなことが気になっているかと申しますと、ある作品の二次創作の中の愛の告白の場面において多用されるからです。そして、その使われ方が告白を受ける相手にとって難易度高すぎると思ったからです。こんな感じです。Aさんは日本の方です。Bさんは外国の方です。国際色豊かな作品なのです。BさんはAさんのことが好きで、お国柄堂々とたびたびAさんに愛を語ります。実はAさんもBさんを憎からず思っているというか、最近ではもうBさんのことが好きです。しかし、Aさんはお国柄と申しますか個人的な資質もあって、Bさんのように堂々と愛を語ることはできません。口に出してしまうと薄っぺらくなってしまうような気がいたしますとか、日本人は察する文化なのでそんなことはっきり言わないのですとか、新しい概念ですから私には使いこなせないのですとか、というか愛してるだなんて恥ずかしすぎて口にできないのですとか、理由はいろいろあるのですが、とにかく愛していると口には出しません。そしていろいろあって愛していると言わなければならないかあるいは言いたい場面が来たとき、Aさんが選択するのが、上の「月が綺麗ですね」です。続けて「今はこのぐらいでご勘弁ください」みたいなのがくっついてることもあります。Bさんは外国の方ですから、「月が綺麗ですね」って聞いたってよくわからないんじゃないかなと思いますが、Aさんの苦渋の選択なので仕方ないです。そしていろいろあってAさんもBさんを好きだから二人は両想いなのだということがきちんとBさんにも伝わり物語は大団円を迎える、というようなストーリーを、もう数えきれないほど読みました。
この場合、「月が綺麗ですね」ではなくて、「あなたと眺めていると、月がいつもより綺麗です」と言えばBさんにもAさんの意図は簡単に伝わると思うのですが、私が拝見した大抵の作品は「(好きとか言いにくいから別の言葉で表そう)月が綺麗ですね」なので、伝わりにくいような気がするのです。「月が綺麗ですね」という簡単なフレーズが「私は君を愛している」という意味であるというのは、それを知っている間柄でなければ伝わらないと思うのですよ。Bさんがそれをわからないままにしておいて二人はまとまらないエンドってのを見たことがないので、別にいいのかもしれませんが。
というわけで、この疑問とか気分とかを憶えていたらそのうち「月が綺麗ですね」って登場人物に言わせる二次創作とかしたいなっと思いますが、文才ないので面白い作品になるとは思えないのですよね。みんな、すごいな、っていうお話でした。
上に出した昔の話の、師匠っていうのが、夏目漱石です。このため、「夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と翻訳した」というそれでいいのか語弊がありそうな気もするエピソードとなって現代に伝わっております。