『愛の不時着』の感想文。

ここには、ドラマ『愛の不時着』の内容について触れた文章が書かれています。もし、まだドラマをご覧になってなくてこれから見ようかなーと思っている方がうっかりここに来られたのなら、この下の文章はお読みにならない方がよろしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『愛の不時着』を見終わりました。楽しかったです。50年前の少女マンガを見てる感じね(褒めています)。あとは異世界転生ものでもある。美男美女(ヒロインと中隊長とします)が、非現実的なトラブルのせいで出会い、最初は反目しあっているけれどだんだんひかれあうようになっていき、本人たちの力ではどうにもできない理由のために別れることになるが、最後はちからわざで結ばれる、という感じです。途中で悪漢や恋敵(男女両方の)、二人を引き裂く大いなる力、かわいい協力者たちなどが登場し、主人公たちはけっこうな家柄の人たちで家督相続(財産ではなく家督)や国家的陰謀など恋愛以外のもめ事も頻発し、銃撃戦やカーアクションなどもあり、とても面白いです。

一話の最初、ぎすぎすした家族の食事のシーンで始まりますが、誰もご飯を食べないで重要な話だけしています。ヒロインは席があるのに遅れて登場し、食べもせずに立ち去ります。あー、ご飯食べない系の監督かなー、と思って見てましたら、二話目からはめっちゃ食べてました。最終話まで、ヒロインの実家以外ではめっちゃ食べるシーン多く、ヒロインの実家では誰も食べるシーンがない(正確には違うかもしれませんが、概念的には一つもない)。作中でも、ヒロインのものの食べ方(食べるということに対する姿勢)に関しても複数回言及があり、食べることについて意図的に描かれているのだということが分かって面白かったです。反面、トイレに関する描写がないので(なくはないけど、ヒロインと恋敵が会話するためにだけあるシーンだった)、やはり50年前の少女マンガですね。古臭いというのではなく、いいものは残るという話で、効果的な表現のコードみたいなのは時代が変わっても効果的で、効果的でないものは淘汰されて消えていくので、一部分をとって一般化すればこうなるみたいな話です。

この作品の、私の好きな点は、新しい環境に入った人が、コミュニケーションを通じて交友関係を深めていくというところです。ヒロインは村のお姉さん方や中隊長の部下の子たちと仲良くなり、国に帰ってからもそれまでは特になんの交流もなかった部下の人たちともコミュニケーションをとるようになります。人間関係というのは、広がりがあるといいよねと私は思っているので、こういうお話は好きです。私は『二人はプリキュア』の無印、マックスハートスプラッシュスターが好きで、5は苦手だったのですが、これは上と同じ問題です。先の三作品は、二人のヒロインが仲良くなる努力を通じて仲良くなり、それぞれの交友関係ともコミュニケーションをとるようになっていくことで、二人ともの世界が広がるという特徴をもっています。これに対して5は、一人のヒロインと四人の仲間が仲良くなっていく過程は見られますが、その外の広がりは特にないのです。コミュニケーションを通じてヒロインの世界が広がっていく作品が私は好きです。

『愛の不時着』に戻ります。この作品が50年前の少女マンガだ(褒めている)というのにはもう一つ理由があって、それは、主人公たちが性的な関係を結ばない(描かれていないし、多分ほんとうにしていない)ということです。心の動きを描き、心の変化を丁寧に描いて、思いが通じ合うとキスをしますが、そのキスシーンがものすごく感動的にロマンチックに描かれるので、彼らの恋愛の描写のクライマックスはキスシーンです。これは何というか、50年前の少女マンガだというしかない、でした。もちろん、恋愛が成就したあとには、するんでしょうけれど、それも描かれないし、50年前のヒロインたちも物語が終わったあとには結婚するでしょうし、そしてそれは描かれないんですよね。

しかし、この作品と50年前の少女マンガには、大きな違いが一つだけあります。それは、この作品の主人公たちが三十歳(くらい)だということです。50年前の少女マンガはヒロインが中高生であることが多いので、ここが大きな違いであり、時代の反映だということになるのではないでしょうか。少子化ですし。

とにかく、『愛の不時着』面白かったです。私は制作された国や地域にかかわらず、恋愛ドラマとかメロドラマというものがそれほど好きではありませんでしたが、最近はジャンルにこだわらずに面白いよって聞いたら見ます。年とともに、嫌いなものが減っていくので、見てみれば面白いのです。