最近、猫を買ってるんですがね

夫の友人の家でたくさん生まれたから友だちに配ってたというのを、うちでももらって、飼い始めてもう四年くらいになります。夏生まれですが、秋にうちへ来たので、名前は秋に由来したいと考え、マロンとしました。小さい頃少し弱々しかったのでたくさんご飯をあげてしまい、まるまると大きく育ちました。頭が小さくすらっと細い体つきの猫種のはずですが、頭は小さいけれど体はまん丸で面白いです。座っている後ろ姿が、輪っかの上にのっている売り物のスイカによく似ていますので、マロンではなくウォーターメロンと名付ければよかったとか、冗談で言います。うちには子どもはいませんが、猫が子どものような感覚です。もっとも、猫の方にしてみれば、そろそろ自分が年上の感覚だとは思いますが。

勉強ばっかりする人生

最近、高校生に受験勉強させる類の塾で働いてるんですけど、比較的学歴高めの講師が小論文対策授業みたいなのすることになったんですね。それで、W大学とかの小論文の過去問題とか見たりするんですけど、解答例とか模範解答とかが見つからなくて、自分で頑張って解答例作ったんです。夜中に泣きながら作文しながら、こういうのがやりたくなくて大学受験時に二次試験の簡単な国立大学を探したことを思い出しました。くそぅ、めんどくさいわ作文。っていう、自虐風自慢風受験の思い出でした。
小論文とか作文というのは、確かに日本語とか国語とかの能力をはかったり、その人がどんなことを考えたりどんなふうに情報を処理したり活用したり眺めたりするのかを見たり、いろいろと有用なんですよね。私も日ごろ学生にたくさん書かせますが、長かろうが短かろうが作文にきちんと取り組んでくれる子は取り組んでくれない子よりひととなりを把握したりしやすいような気がします。もちろん何でもわかるわけじゃありませんが。

方言の思い出。

私の生まれた地域では、「捨てる」のことを「ほる」と言います。正確には「放る(ほうる)」です。「この書類もういらんからほっといてー」。
私が大学生のころにお世話になった地域では、「捨てる」のことを「投げる」と言います。「この書類もういらないがら投げといてー」。
どちらの方言を使っているときにも、共通語使いの方からは「奇妙である」との評価をいただきました。
両方知っている身としては、使う言葉は違えども概念というかすることは同じなのだと思っており、奇妙かどうかは置いておいても面白いなと思っておりました。
つまり、「放る」と「投げる」は同じような意味の言葉なので、遠く離れて違う言葉を使っているのにやってること同じで面白い、と思ったってことです。
ゴミ箱に放物線を描いてぽーいと飛んでいく紙屑のイメージです。

カタカナ

長音記号をいっぱい使うようになったのは、いつぐらいからで、どうしてなんだろう、と、カタカナ語の一覧表を見ながら思いました。
なんとなく、70年くらい前からで、簡単に書けるからかな、と思っていますが、よくわかりません。後で調べます。
つまり、スウェタァはセーター、エレベェタァはエレベーターって書いた方が手が楽じゃん、ってことだったのかな、という話です。
そして、最近単語の末尾の長音記号を略すようになったのはなんでなんだろう、これもたぶん理由があると思うので、調べます。
センサーとセンサ、メモリーとメモリなら、なんとなく専門用語感を出すためなのかなと思うけど、エレベータとかエスカレータとかになるとよくわからないので。
私は今も隣の国に住んでいますが、こちらでも昔は長音記号を使っていて、旧時代の遺物であるということである時期に廃されたのだということです。というか、自分とこの文字でないので使うのやめようってなったみたいな。

お茶高い。

カフェでぼんやりしていますと、時々日本語が聞こえてびっくりします。大学生くらいの若い子がテーブルの上にガイドブックとかパンフレットとかを並べて日本旅行の計画を立てているのです。日本の地名とか、挨拶の言葉とかが聞こえるのです。かわいい。
こちらの物価はここ数年でだいぶあがって、交通費以外では日本とあまり差を感じなくなりました(いや、それでも何割かは安い印象ですが、ひところみたいにものの値段が日本の半分くらいで量は日本の倍くらいみたいなすごい安い感じではなくなりました)。でも普通の人のお給料は上がらないので、普通の人はみんななんだか生活苦しいみたいな感じです。だから、どこの町もなんとなくすさんでいる感じです。昨年私が病を得ましたので空気のいいところに引っ越そうとして首都圏の市町村を見て回っているのですが、どこも駅前とか中心商店街が息してない感じです。
カフェのコーヒーは300〜500ccくらいで(でかいよね)400〜500円相当です。と思うと、そんなに物価高くないのかな、でも、私は小さいサイズでもう少し安くあってもらいたいので、ちょっと不便です。

「できますか」って敬語で訊きたい。

柳橋先生(仮)の楽しい敬語こーざー。
「できますか」って敬語でお尋ねしたいときがあるとしましょう。たまになら、そんな事態に遭遇しないとも限らないですよね。私は先生のお仕事をしておりますが、学生に時々こっちの言葉喋れますかって訊かれます。ちょーーっとだけなら喋れますよって答えます。ただの学生なら「喋れますか」って普通に尋ねてくれますが、敬語とかちょっと勉強したりした学生は「喋れますか」って訊いていいのかしらって疑問に思ったりするようです。一応こんなんでも学生にとっては「先生」ですからね、気にしてくれているのだと思います。
さて、「日本語を喋れますか」ってのを尊敬語で訊く場合のお話です。ほんとうはどうか存じませんが「喋る」ってのがそもそも失礼な気がしますので、「話す」を使って「日本語を話せますか」の方がいいんじゃないかな、と私思います。お友達とするのがお喋り、先生とするのがお話、みたいな。どうなんでしょう、実際のところ。で、「日本語を話せますか」だったら、じゃーんと尊敬表現「お〜になる」と可能の表現「れる・られる」を使って「日本語をお話しになれますか」でよろしいのではないでしょうか、とりあえず。あるいは、「使う」を使って、「日本語をお使いになれますか」でしょうかね。
でもですね。「喋れますか」っていうのは、「喋れますか、喋れませんか」ってことですよ。「先生」とかみたいな相手にできるのかできないのか確認するの失礼かもしれないじゃないですか。「先生」って、今は私みたいなチャラいのもいますけど、昔はこう、やっぱり「先生」だったわけですよ。先生ってすごいんですよ。ほんとうは。今もたいていの先生はすごいですが。「先生」じゃなくて「社長」でもいいですけど。だから、そんなすごい人に向かって「喋れますか、喋れませんか」ってのは失礼なんですよ多分。できるのが当たり前です。だって先生なんだもん。っていう方針で、「お話しになれますか」はやめておいて、もうちょっと敬意を表したいと思います。そこで、「お話しになりますか」というのをね、使ったりするのです。喋れるのは前提で、喋るのか喋らないのかをお訊きするわけです。どうでしょう。
この訊き方は他にも使えます。例えば、「ゴルフはおやりになりますか」(できますか)。「ピアノはお弾きになりますか」(弾けますか)。「車は運転なさいますか」(運転できますか)。「お酒はお飲みになりますか」(飲めますか)。「甘いものは召し上がりますか」(食べられますか)。「なさいますか」は今年の夏前に使っていた教科書にも載っていたようなうっすらとした記憶。そして、「おやりになりますか」はお下品な気がしてきました。あとで考えます。
敬語ってのは、形も大事だけど一番大事なのは敬意だから、相手に失礼のないように頑張るっていうのがいつも敬語を使うときの基本方針です。だから、「日本語はお話しになりますか」でもいいけど、「日本語はいかがですか」とかでも、いいのです。学生さんにはなるべくいろいろ日常的に使って練習していただいて、就職してからちゃんと使えるようになっていただきたい、と「先生」はいつも思っています。学生のうちは下手でも間違っててもいいので。学生が敬語下手だからってキレるような先生はちょっとおかしいので、キレたりしない先生に向かってじゃんじゃん使ってもらいたいなーと思うのですよ。ま、柳橋先生(仮)はおとなのわりに敬語ヘタクソなので、人に文句は言えないってのが実際のところなのですが。

『枕草子』を可愛く訳そうキャンペーン5。第九段。

枕草子』を可愛く訳そうキャンペーン実施中です。
今日の第九段は、いわゆる「翁丸」です。私は中学校の二年生の時に習ったように思います。現代の中学生も習うのでしょうか。中学生の時にも長すぎて心折れそうになりましたが、改めて古文を打ち込んで再び心折れそうになりました。でも、こういうストーリー性のある段は長くても何とかなるんです。ほんとうに心を折りに来るのは、ものの名前を並べた段です。一般常識が違うだけで、こうもわけわかんなくなるのかっていう気持ちになりますので。

※このキャンペーンは真面目なけんきゅうではありません。ですから、品詞分解をきちんとした結果の訳文ではありません。同じ言葉でも違う訳文になってたり、違う言葉でも同じ言葉に訳したり、というところがあると思います。昔の人は一言で言えばその感覚が分かるものでしょうが、現代人には同じ感覚がない時もあるんじゃないかなって。でも、なるべく原文にそって、大意がつかめて雰囲気が分かって、なおかつかわいさが伝わる、を目指してテキトーに訳していきます。

※手元に全集とかがありませんので、原文はネット上の方々からお借りしました。
 

第九段(原文)「うへに候ふ御猫は」
 うへに候ふ御猫は、かうぶりにて命婦おとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせ給ふが、端に出でてふしたるに、乳母の馬の命婦
「あなまさなや、入り給へ」
とよぶに、日のさし入りたるに、うち眠りてゐたるを、おどすとて、
「翁丸、いづら。命婦おとど食へ」
といふに、まことかとて、しれもの走りかかりたれば、おびえ惑ひて御簾のうちに入りぬ。
 朝餉のおまへに、うへおはしますに、御覧じていみじう驚かせ給ふ。猫は御ふところに入れさせ給ひて、をのこども召せば、蔵人忠隆まゐりたるに、
「この翁丸うち調じて、犬島につかはせ。ただいま」
と仰せらるれば、集り狩りさわぐ。馬の命婦をもさいなみて、
「乳母かへてん、いとうしろめたし」
と仰せらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、瀧口などして追ひつかはしつ。
「あはれ、いみじうゆるぎ歩きつるものを。三月三日、頭の辨(弁)の柳かづらせさせ、桃の花かざしにささせ、櫻腰にさしなどして、ありかせ給ひしをり、かかる目見んとは思はざりけむ」
などあはれがる。
「御膳のをりは、必ずむかひあぶらふに、さうざうしくこそあれ」
などいひて、三四日になりぬ。ひるつかた、犬いみじく泣くこゑのすれば、なぞの犬の、かくひさしくなくにかあらん、と聞くに、よろづの犬とぶらひみに行く。
 御厠人なるもの走りきて、
「あないみじ、犬を蔵人二人してうちたまふ。死ぬべし。犬を流させ給ひけるが、かへりまゐりたるとて、調じ給ふ」
といふ。心憂のことや。翁丸なり。
「忠隆・実房なんど打つ」
といへば、制しにやるほどに、からうじてなきやみぬ。
「死にければ陣の外にひき棄てつ」
といへば、あはれがりなどする夕つかた、いみじげにはれ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、
「翁丸か。このごろ、かかる犬やはありく」
などいふに、
「翁丸」
といへど、耳にも聞き入れず。
「それ」
ともいひ、
「あらず」
とも口ぐち申せば、
「右近ぞ見知りたる、呼べ」
とて召せば、まゐりたり。
「これは翁丸か」
と見せ給ふ。
「似て侍れど、これはゆゆしげにこそ侍るめれ。また『翁丸』とだにいへば、よろこびてまうで来るものを、呼べどよりこず。あらぬなめり。『それは打ち殺して、棄て侍りぬ』とこそ申しつれ。二人して打たんには、侍りなむや」
など申せば、心憂がらせ給ふ。
 暗うなりて、物くはせたれど食はねば、あらぬものにいひなしてやみぬる。つとめて、御けづりぐし、御手水などまゐりて、御鏡をもたせ給ひて御覧ずれば、候ふに、犬の柱のもとにゐたるを見やりて、
「あはれ、昨日、翁丸をいみじう打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらん。いかにわびしき心地しけん」
統治畏怖い、このゐたる犬のふるひわななきて、涙をただおとしにおとすに、いとあさまし。さは翁丸にこそありけれ。よべは隠れ忍びてあるなりけり。と、あはれにそへてをかしきことかぎりなし。
 御鏡うちおきて、
「さは翁丸か」
といふに、ひれ伏していみじうなく。御前にもいみじうおち笑はせ給ふ。
右近内侍召して、
「かくなん」
と仰せらるれば、笑ひののしるを、うへにもきこしめして、渡りおはしましたり。
「あさましう、犬なども、かかる心あるものなりけり」
と笑はせ給ふ。うへの女房などもききてまゐりあつまりて、呼ぶにも今ぞ立ちうごく。
なほこの顔などの腫れたる。物のてをせさせばや」
といへば、
「つひにこれをいひあらはしつること」
など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所のかたより、
「まことにや侍らむ。かれ見侍らん」
といはすれば
「さりとも見つくるをりも侍らん。さのみもえかくさせ給はじ」
といふ。
さて、かしこまり許されて、もとのやうになりにき。なほあはれがられて、ふるひなき出でたりしこそ、よに知らずをかしくあはれなりしか。人などこそ人にいはれて泣きなどはすれ。
――――――――
第九段(現代語訳)
 天皇陛下一条天皇さま)にお仕えしているにゃんこさまは、位があって、「命婦おとど」って呼ばれてて、すっごくかわいいから、定子さまも大事に大事になさってたんだけど(飼い猫が得るのは主人ではなく召使いだってほんとそのとおりよね)、その命婦おとどが縁側に出てうつ伏せにゃーんって寝てるところに、猫のお世話担当の馬の命婦って人が、
「あらあらいけませんわ、こちらにお入りなさいませ」
って呼んだんだけど、縁側に日が差し込んでて暖かくて気持ちいいにゃーんって、まだ寝てたから、馬の命婦さん多分ちょっといらっとしたかも。ちょっと脅かしてやろうとして、
「翁丸ー、どこにいるのー。命婦おとどを食べちゃいなさい」
と言ったの。あ、翁丸って、犬ね。で、その、翁丸がマジでにゃんこさまを食べちゃうんだと思って、やっぱり犬ってちょっと馬鹿よね、にゃんこさまに駆け寄ったから、にゃんこさまが怯えてなんか困って御簾の中に入っちゃった。
 そのときちょうど朝ご飯の時間で、朝ご飯の部屋には、定子さまと陛下さまもいらっしゃって、これをご覧になってものすごくびっくりされたの、陛下さまが。で、猫はお着物の中にお入れになって、そこらに控えていた男どもをお呼びになったら、陛下さまの秘書の忠隆って人が来たから、
「この翁丸を棒で打って、こらしめて、犬島へやってしまいなさい。いますぐにです」
って陛下さまがおっしゃったの、で、男どもがみんな集まって犬を捕まえようとして大騒ぎよ。陛下さまは、馬の命婦もお責めになって、
「猫の世話係も替えてしまいましょう、こんな人に世話をさせるのはとても気になります」
とおっしゃったので、馬の命婦はもう謹慎してしまって、陛下さまの前にも出てこなかった。犬の方は捕まって、陛下さまが宮殿の警備の武士とかに命令して追い出してしまわれました。
「ああ、可哀想に、ついこないだまで元気にぴょんぴょんしながら歩いてたのに。あれは三月三日のことだったわ、柳の冠かぶせて、桃の花の枝をかんざしにさせて、腰には刀のかわりに桜の枝で、歩かせて、あれは蔵人の頭がなさったんだけど、可愛かったわ、その時にはこんな可哀想なことになるなんて、翁丸だって思ってなかったでしょう」
とか、感傷的になってしまった(私だけじゃないわ、みんなよ)。
「定子さまのお食事の時には、いつも必ずこの辺でこっちを向いて控えていたわ、さびしいわね、とても」
とかなんとか言ってるうちに、三四日経ちました。お昼頃、犬がとってもうるさく鳴いてる声がしたから、「どこの犬がこんなにずーっと鳴くのかしら」とか聞いていると、下人が見に行った。
 そして、トイレ掃除の係の者とかいうのが走ってきて、
「大変ですわ、犬を秘書の人たちが二人がかりで殴っていらっしゃるのです。きっと死んでしまいます。こないだ犬を島流しになさったのが戻ってきたんだっておっしゃって、こらしめるんだって、なさってるんです」
と言った。心配です、ぜったい翁丸です。
「忠隆とか実房とかが殴ってる」
って誰かが言ったから、ちょっと止めさせるように人をやったら、ようやく泣き止んだ。そしたら、
「死んだから外にぽいっと捨てといた」
とか言うから、もうなんか可哀想でしょうがなかった、で、その夕方くらいになって、体とかものすごく腫れ上がってひどい有様になってる犬が、みすぼらしい感じで、ふるふるしながら歩いてるから、
「翁丸かな、最近こんな犬この辺歩いてたっけ?」
とかって誰かが言ったから、
「翁丸」
と別の誰かが呼んでみたけど、ぜんぜん聞かないで歩いてる。
「翁丸でしょ、ぜったい」
という人もいたし、
「違うって」
っていう人もいて、みんな口々にいろんなこと言ってたら、
「右近さんがよく知ってたと思うわ、お呼びなさい」
って言って呼び出したら、右近さんが参りました。
「これ、翁丸かしら」
と定子さまがお見せになった。右近さんは
「似てはおりますが、でもこの子はちょっと不吉な感じがいたします。それに、翁丸は、「翁丸」って呼ぶだけで、喜んで寄ってまいりましたが、この子は呼んでも参りません。翁丸ではないように思います。「翁丸は殴り殺して捨てました」と忠隆たちも言っておりましたし。二人がかりで殴ったりいたしましたのに、生きていたりするものでしょうか」
とか申しました、ので、定子さまもとても可哀想に思われたりしたのです。
 暗くなってきて、その犬に何か食べさせようとしたんだけど喰べなくて、だからもう、翁丸じゃない、違う犬だってことにして、それで終わりってことにしました。次の日の朝早く、定子さまが、髪をまずきれいになさって、お顔を洗われて、それから私に鏡を持たせてお顔をご覧になるので、そこで鏡を持ってじっとしてましたら、昨日の犬が柱の下にいるのが見えて、それをぼんやり見ながら、
「ああ、昨日、あいつら翁丸をすんごく殴ってたな。死んだって言ってた、可哀想、ほんと可哀想。生まれ変わって、何になるんだろう。どんな気持ちだったんだろう、苦しかったかしら、悲しかったかしら」
とついうっかり口に出して言ったら、この座ってた犬がふるふる震えて、黙って涙をぶわーっと流したから、すんごいびっくりした。じゃあやっぱり翁丸だったんだ! 昨日はずっとじーっと隠れてたんだ、と分かったら、可哀想なんだけどそれだけじゃなくてなんかすごい、めっちゃすごい、と思った。
 で、定子さまにはちょっと失礼して、鏡を置いて、
「じゃあおまえ翁丸なのね」
って言ったら、そこで「伏せ」をして、すんごい鳴いた。私は感動したけど、定子さまもとってもお笑いになった。
 それから昨日の右近さんを呼び出して、
「ほらほら! やっぱり翁丸だったみたいね」
とおっしゃったので、右近さんも「やばい可愛い」ってすんごい大笑いして、そしたら陛下さまにも聞こえちゃったらしくて、こちらの方においでになった。陛下さまは
「びっくりですね、犬なんかにも、こういう、世話になったところに帰ってきたりおぼえてて貰って涙を流したり、そういう心もあるものなのですね」
とお笑いになりました。陛下さまのところの女房のみなさんとかも話を聞いて集まってきて、犬を呼んでみたら、今度は立ち上がって、動いた。
「まだ顔とか、ほら、この辺とか、腫れてるじゃないですか。手当をさせたいのですけれど」
って誰かが言うと、
「あらあら、ついに翁丸をいたわる気持ちを言いだす人が出て来ましたわ、あはは」
とか別の誰かが笑ったり、してたら、忠隆(昨日翁丸を殴った人ね)が翁丸が帰ってきたって聞きつけて、女房の控室の方から
「ほんとうでございますかー、私にも見せてください」
と言ったから、
「あら、たいへん! 犬なんて、ぜんぜんそんなのいませんわ」
とか入口の辺の子に言わせて通せんぼさせてみたら(だって翁丸を殴った人なんですもの、見せたらまた殴るかもしれないのですわー、みたいな)、
「でもですね、私だってこの辺にお勤めしてるんですから、見かけたりするかもしれませんでしょう。そうやってずっと隠しておけるものでもないんだと存じますけど。っていうか私にも見せてくださいよ」
と言いました。
 さてその後、翁丸は陛下さまがお許しになって、もとのようにかわいがられるようになりました。やっぱり、犬が同情された時にふるふるして泣き出したりしたなんてことは、それまで聞いたこともなくて、おもしろいと思いましたが、可哀想でもありました。人間だったら、誰かに同情されて泣いたりすることも普通によくある話なのですけれどね。