涙もろいの続き。

まりみては一期の卒業式で号泣するんですけど、その直前にバレンタインでもじわっとします。そしてぷりきゅあ二期の終わりと三期の終盤と最終回で号泣します。自分がちょっと気持ち悪い瞬間です。よつばとも時々ちょっと。号泣はしませんが。
あとね、カラオケの映像で。あおげばとうとしの映像で、先生が子どもたちと一緒に泣いてる映像があるんですよ。歌いながら泣きそうになります。
あおげばとうとしは歌詞も泣きます。私は、物悲しい少女時代を送ったせいかどうかはわかりませんが、人に別れを告げる歌詞よりも校舎に別れを告げる歌詞で泣くみたいです。だから恋愛的別れの曲で泣くことはありませんが、卒業的別れの曲で泣くことはしばしばあります。
♪何にも言わない校舎さえ 心ありげに見える今日
♪机を並べて学び舎に通い 育み築いた季節は宝
♪朝夕なれにし学びの窓 (中略) 今こそ別れめいざさらば
♪思い出の傷が残るあの机に誰が今度は座るんだろう ありがとうさようなら教室
みたいなの。もうなんか、すでに泣きそう。
何でこんな夏になる頃に卒業ソングの話してるんでしょうかね。きっとまりみて読んでたのが悪いんです。
川端康成は、こうあって欲しい少女像ってのが常にしっかり頭にあって、世の中の女の子たちはまっすぐ健やかにその少女像に向かって成長していって欲しいと思っていたに違いないと思います。こう、こんな女の子が好きだー、じゃなくて、素敵な女の子とはこうあるべきだ、みたいな感じで。自分たちおとなは、少女を愛でるんじゃなくて育成する存在であろうとしていたまで言ったら言いすぎですが。もう世の中は自分の思い通りにならないし、女の子たちは自分たちの手では育たなくなってしまったから、ガス管なんだよきっと。いや、だから言いすぎですが。
繰り返し同じような少女を描くのも、少女たちの作文を添削し、送りつける作文は作法が大事って(ペンでしっかり書いて、紐で綴じる、ってやつ)繰り返し繰り返し説くのも、みんな少女は自分が教え導かないとって思ってるからだよ。でもね、世の中のおとなって、多かれ少なかれみんなそうだよね。だからこういうのは特に意味を持たない発言なんです。