うろおぼえ童謡鑑賞『浜辺の歌』

今日は、童謡鑑賞の時間をとってみたいと思います。童謡鑑賞とは何かと申しますと、好きな童謡の歌詞などを読んで感じたことや思ったことを話してみるということです。解釈とか訳とかではなく、思ったことを述べる、です。タイトルに「うろおぼえ」などと入っているところからも不吉な予感がぷんぷんしますが、いい加減なのは私のキャラですということでひとつどうぞよろしくお付き合いをお願いいたします。あ、うろ覚えとかいい加減とかテキトーとかでものを語ることがお嫌いな方はご覧にならないことをお勧めいたします、ぷりーずごーばっくです。今日のは本当にひどいのです。歌の歌詞の話をするのに、歌詞間違えてたりする話です。初めに言いましたからねっ。
 
 
 
 
 
 
 
最近、年を取ったせいなのか、童謡や唱歌がまたマイブームです。童謡や唱歌というのはいわゆる大正童謡というやつで、その説明をすると三時間話すくらいでは終わらないので簡単に申し上げれば大正時代辺りに新しく子供用に健全でロマンチックな童話や童謡の類を作ろう運動が起こった時に作られたものとか、あとは女学生愛唱歌百選とか文部省唱歌に入ってるようなのとか、そういうものだとお考えくださればけっこうです。そしてそういうののうち特に好きなのを時々動画サイトなどで聞いているのです。声がきれいで歌い方の素直な感じの女性歌手が歌っているのとか、はつねみくさんの上手なのとか、が好きです。あとはピアノアレンジとかエレクトーンアレンジとかが好きです。特にお気に入りのが『浜辺の歌』です。私はリアル学生時代はあまりこの歌が好きではなく、というかあまり興味がなく、最近改めていい歌だなと思ったので、歌詞はうろ覚えでした。そしてうっかりお気に入りのピアノアレンジをみつけてしまい、歌詞を見直す機会なくうろ覚えのままエアロバイクに乗りながら歌っておりましたのです。私は自転車に乗ると歌を歌わずにはいられないというなんだかよくわからない性質が性格の中に潜んでおりまして、数年前には桜満開の霊園の中をはーるのーうらーらーのーすーみーだーがーわーなどと歌いながら大学に向かっていたものでした。春は特に気分がよかったのを憶えています。そんなわけでエアロバイクに乗りながらあーしーーたーはーーまーべーーをーさーまーーよーえーばーなどと歌っているわけです。
春休みの終わりごろのことでした。ついつい、好きが高じて、夫にうっかり『浜辺の歌』の歌詞の解説をつらつらやってしまったのです。夫も災難です、仕事から疲れて帰ってきたら春休み満喫中の妻が聞いたこともない異国の古典についてぺらぺらと講釈を垂れてくるのですから。あ、明治大正昭和初期の文学作品は外人さんにとってみれば古典文学でしょう、というわけで異国の古典と言ってみました。というか、こちらの学生は夏目漱石を古典文学って言ってました。その場では否定しておきましたが、気持ちはわかります。
さて、私が夫に語りました『浜辺の歌』鑑賞というのは、以下のような話です。その前に、一応うろ覚えだった歌詞をここに書いておきます。作詞した詩人は五十年以上前に亡くなっていますので、書いても大丈夫だと思います。もし著作権が死後七十年に延びてたらすみません、こっそり教えてください。
 

   うろおぼえ浜辺の歌
 
             作詞:林 古渓
             作曲:成田 為三
 
あした浜辺をさまよへば 昔のことぞ忍ばるる
風の音よ雲のさまよ 寄する波も櫂の色も
 
ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ返す波よ 月の光も星のかげも

 
このブログは引用部分を目立たせる機能があって便利なんですが、多少融通がきかないところがありますね。いつもは長文を引用するので(枕草子とか)気づきませんでしたが、今日のは短い詩なので右側の空白が気になってしかたありません。もし今お暇がおありでしたら、こころみにウィンドウの幅を狭めてご覧になってくださいませ。ちょうどぴったりになる幅があると存じます。多分十センチくらいです。非常に狭いですね。閑話休題
さて、歌詞のお話です。この歌はですね、病気療養かなんかで都会を離れて海辺の村に仮住まいの人の心みたいな感じだとお考えください。療養なので、朝な夕なに浜辺を散歩するのです。昼間は子どもが出てくるので浜辺にはあまり近づかず、遠くの木陰かどこかから眺めてる感じです。夏の直射日光はまた病状に悪いですし。
で、朝早く、浜辺をふらふら散歩していたら、昔のことがいろいろと懐かしく思い出されるのです。例えば、健康だった学生時代のこととか、今はもうないものを懐かしく思い出すのです。朝の涼しい風が髪を梳き、足元の浜昼顔とか松の枝とかを鳴らします。見上げれば青い空、今日も晴れるのか、いい日になればいいなと考えながら雲を眺めます。朝の雲ですから、刷毛で刷いたような流れる雲です。穏やかな波が寄せては返します。波音を聞いていると、自分の肺の音なんかは気にならなくなって、ゆっくりと健康を取り戻していくような気もしてきます。朝早いですが遠くに見える桟橋では漁に出る船が準備をしていて、小さく揺れる船の腹を叩く水の音や、櫂や櫓の音も聞こえるような気がします。実際は遠すぎて多分聞こえないのですが。だんだん明るくなってくるこの時間は、目の前が開けていくのが気分がよくて、小さなものや遠くの風景もよく見えるし、かすかな音も聞こえて、昔に戻れるような気がしてくるのです。「櫂の色」の「色」とは、様子とか、存在感的な感じかと思います。
夕方、暮れ方に浜辺をふらふら散歩していると、昔仲良くしていた人のことなどが、懐かしく思い出されます。「もとおる」とは「さまよう」とだいたい同じ意味です。この人には結婚を約束した人でもあったのかもしれません。胸を病んで田舎で療養することになり、そのまま都会へ戻れるかもわからないので、結婚の約束はなかったことにしたのでしょう。この時代恋愛結婚はまだあまり一般的なことではありませんでした。健康を害した自分が身を引いて、その人にはしかるべき大人の決めたしかるべき家の人と良縁を得てもらいたい、そう思えば関係が清いままであったことはその人にとってよかったことなのだ、結婚するにあたって純潔であるか否かというのはとても重要なことなのだから、自分とそのような不純な関係になっていればその人のしかるべき縁にとって障害になったかもしれない、だからこれでよかったのだけれど、しかし自分とて結婚したいと思うほど好きであったのだから一度くらいはその頬に触れてみたかった、思えば手を握ったことも二度くらいしかない、自分は奥手であったかもしれない、相手はもしかしたら自分が手を握るのを待っていたかもしれないのに、あの日、学校の門の前で偶然行き会って二人で帰った時、自分も相手も教本や帳面の入った風呂敷包みを持っていて、でももう片方の手は空いていたのだ、ああでもそんな学校の帰りなどに手をつないで歩いているところなど誰かに見られていたら、このようになった今ではきっとそれが問題になっていただろう、これでよかったのだ、そんなことをつらつら考えていると、日が落ちてだんだん暗くなり、もう足元の砂が白いことくらいしか見えないのです。朝にはきらきら見えていた防風の松の並木も、今はただの黒い塊です。波の音だけが静かに聞こえています。寄せては返し、寄せては返し、自分のとりとめのなく堂々巡りの考えのように、波は静かに打ち寄せます。空を見上げれば、月がやわらかい光を投げ落としてきます。星も、静かに光っています。月の光も星の影も、なにもかもが別れたその人を思い出させます。「星のかげ」というのは、現代語でいうと「星の光」です。昔は姿や光のことを影といったのです。今も「人影」とかいうのは、なにも影だけ見えているわけではありません。影だけ見えたら名探偵コナンの犯人です。人の姿が見えることを人の影が見えるというのです。それと、さきほどの教本や帳面とは現代で言う教科書やノートのことです。
朝にはだんだん明るくなっていく風景に自分の気持ちも少しずつ明るくなっていき、いろんな景色が見えます。懐かしいことをいろいろ思い出しますが、いつかまたそこに戻ろうと思えます。生きていて、動いているので、生きていて動いているものが見えるのです。目も耳もクリアです。夕方にはだんだん暗くなっていく風景に自分の気持ちが寄り添ってしまいます。別れた人のことを思い出しているうちに、もう何も見えなくなって、波の音しか聞こえません。これではいけないと空を見上げても月と星しか見えなくて、また元気だった時に戻れる気はもうしません。まだ生きてはいますが、こんな状態では生きているといえるのかどうか。社会的には死んでいるのと同じですし。朝な夕なに自分の境遇と残してきたものに思いを馳せつつ、浜辺を散歩するのです。毎日毎日気分は浮き沈みしつつ、季節だけはうつり変わっていきます。
 
まぁ、こんな話でした。かなり妄想乙です。実際に喋った内容からはいくらか脚色しておりますが、すごいいきおいでぺらぺら喋ってる古典の先生を思い出していただければそれがいちばん近いかと存じます。
で、せっかく頑張って鑑賞したのでここにメモっておこうかと思って、また著作権切れてないか確認したいと思って、歌詞を検索したらたいへんでした。私は歌詞を間違って覚えていたのですよ。正しいのは、下の歌詞です。
 

   浜辺の歌
 
             作詞:林 古渓
             作曲:成田 為三
 
あした浜辺をさまよへば 昔のことぞ忍ばるる
風の音よ雲のさまよ 寄する波も貝の色も
 
ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ返す波よ 月のいろも星のかげも

 
一番は「寄する波も貝の色も」でしたね。遠くの方に見えていた生命感あふれる桟橋の様子は幻でした。足元に落ちていた貝の色がきれいで感傷的になっているのです。この貝は絶対桜貝だと思います。
そして二番は「月のいろも星のかげも」でした。「光と影」って妙に現代っぽいと思ってたんです。月が黄色くやわらかい光を投げかけ、星は小さくきらきらと瞬いている、ですね。意外と心に余裕がありました。何も見えなくなってはいませんでした。よかったよかった。
……っていうことがいまさらわかったところで、上のような話を滔々としちゃったあとですよ、もう。いまから訂正するのも変な感じだし、というか多分夫は上のような話とか憶えていないだろうし、ま、いっか。学生に話したんじゃなくてよかったです。学生の中には先生の話すこと全部真面目に聞いて憶えちゃう子もいるので。かくいう私も、先生の話すこういう教科書と関係ない話とか大好きで、けっこう高確率で憶えている子だったのです。話す時にはまず前提の情報が合っているかどうか、きちんと調べなければいけないと思いました。
 
ついでに調べたことをちょっとだけ書き足しておきます。『浜辺の歌』には作られた時には三番と四番がありました。しかし昔のことなのでいろんなことが甘く、出版社の方で詩を書いた紙の一部を紛失してしまったのだそうです。詩人も量産型だったのか思い出せず(量産型でなくても思い出せないような気もしますが)、残っていた一番と二番と、それから三番の前半と四番の後半をつないだものとで、全部で三番まである曲として発売されたようです。でもあまり接続がよくなくてぎくしゃくしてたのが理由かどうか、戦後には二番までの曲としてまた発売されるようになったみたいでした。研究されてる方も多くいらしたようで、その筋では有名なお話のようです。これらのことは、「浜辺の歌」で検索すると一番上から五番目くらいまでに出てくる複数のサイトに載っていました。きっと論文もあるんだと思いますが、海外にいるのを理由に調べておりません。不勉強であいまいな話をいたしまして、恐れ入りますすみません。