ひとりSF祭り開催中。

首都消失 (上) (ハルキ文庫) 小松左京首都消失』。ハルキ文庫から出てますね。
初出は確か1985年くらいだったでしょうか。1985年は大変な年でしたね。タイガースは優勝するし、首都は消失するし。
 
学校の、学生の溜まる部屋の一つに、すごいたくさんの文庫本の置いてある部屋がありまして。という話を以前しましたっけ? その文庫本の山の中に、意外にも(文学作品じゃなくて)SF小説がたくさんあるんですよ。で、手持ちの日本語の書物が楽しくなかったり飽きてたりするので、小説でも読むかと思い立って、その部屋に度々本を借りに行くようになったのが五月の後半くらいでしたか。それで、最初は文学作品と娯楽小説を交互に読むぞという高邁な理想をもって文庫の山に向かったんですが、気づいたら娯楽作品ばっかり読んでて(当たり前です、楽しいから娯楽作品ていうんですもの、人は易きに流れるものですよね)、しかも娯楽作品の中でもSFばっかり読んでる自分に気づいたのが六月半ばでした。だって、半村良がやたらにあるんだもん。でも今は、小松左京を読んでいます。久しぶりに『首都消失』を読みました。
小松左京の小説のうちでSF小説は、もし○○が○○したら、的な設定から始まるシミュレーション小説が多いです。昔仲良くしていた友人に、政党とか権力とかがとても好きな子がいましたが、小松左京のシミュレーション的小説を読んでると、そういう子たちの気持がわかるような気がします。ただ、そういう子たちはなんであんな楽しくない現実と向き合ってるのがいいのかは、いまだにわかりません。私は、非現実的な設定の中で、現実的なあるいは非現実的な才能や器量の持ち主が右往左往するのが楽しいので。現実に存在する範疇だけでシミュレートする方が楽しいでしょうかね。どうですか?
で、『首都消失』は、そんな、楽しい小説です。日本が沈没したりはしませんが、同じくらい不条理です。だって、朝起きたら急に東京近辺がなくなってるんだもん。でもそれを、ただのファンタジーとしてじゃなく、読むのが嫌になるほどのデータでもって説明してくれたりするわけですよ。で、首都機能が完全に消失した日本で、残された人たちがどうするのか、データとか人間ドラマとか、そんなかんじです。楽しいです。『日本沈没』が好きな人は読んでみると楽しんでいただけるかと思います。ただし、一昨年の映画『日本沈没』が好きだけど小説の『日本沈没』はちょっと……という方にはそれほどお勧めしません。どちらがいいとか悪いとかではなくて、全く違う趣の作品だからです。