大きな熊が来てくれるなら。

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左から、島本理世『大きな熊が来る前におやすみ。』
斎藤美奈子『妊娠小説』。
 
女の子の書いた妊娠小説を、私はなんと呼べばいいのだろうか。
 
「妊娠小説」とは何か、みたいな文章を何十行も打ち込んで、ちょっとしたミスで消してしまった私の集中力は限界をむかえ、パルス逆流シンクログラフも逆転してATフィールドの維持のためだけに書き続けるのが嫌になっちゃったので、簡単にさくさくっと要点だけ書いときます。『妊娠小説』というのは斎藤美奈子という評論家のデビュー作だそうで、それまで別々のジャンルとしてあるいは各々の時代区分で分けられていた「文学作品」を、「妊娠小説」という新たなカテゴリでくくりなおした、そんな評論です。評論だからとか、軽い読み物だからとか、信憑性に乏しいからとか、いろんな理由をつけてとりあえず業界では無視されるか冷笑されてるみたいです。ていうか、論文にこの『妊娠小説』から引用しようとしたら冷笑された、って感じです。
そして、「妊娠小説」というのは、そのものずばり「妊娠」が書かれている小説のことです。えー、結婚してからの妊娠、例えば桜庭一樹赤朽葉家の伝説』とか田中芳樹銀河英雄伝説』(それしか思い出せなかったの)とか、そういうのは「妊娠小説」には含まれません。なんでか。それは「結婚」という正当な手続きを経て行われた性交による妊娠は、「懐妊」とか「おめでた」とか呼ばれるからです。「妊娠小説」に必要なもの、それは「婚外の妊娠」に尽きるといってよいでしょう。
他には、男性作家が書いたとか、つまり、妊娠について知らない人が知らないままに(調べもせずに)書いている(ようにしか見えない)とか、ヒロイン及び主要な登場人物であるところの女性キャラクターが「妊娠」をするとか、当該の「妊娠」が月経の遅れでも基礎体温の異常でも下腹部の張りでもなく悪阻(つわり)によって発覚するとか、「妊娠」の相手たる男性キャラクターは中絶を陽に陰に勧めるが当該女性はどちらかといえば産みたがるとか、当該「妊娠」及び出産は中絶や流産や早産や死産などによって失敗に終わることが多いとか、当該「妊娠」及び出産の失敗によって当該女性キャラクターが病気になったり麻酔なしで帝王切開されたり果ては死に至ったりするとか、当該「妊娠」及び出産の失敗によって男性キャラクターの人生に深みが増すとか、そういった要素があります。全部を搭載している「小説」もあれば、いくつかの要素を搭載しているだけの「小説」もあります。大型機と小型機みたいな? 
さて、この「妊娠小説」は、近現代の小説にその存在を限られています。理由は多分、近代より前には「小説」というものが存在しなかったから(多分ね、多分)。近現代といえば、なんか明治維新とか富国強兵とか一億玉砕とか、高校で近代日本史の授業を受けると勇ましいんだか愚かしいんだかよく分からない時代として暗記しますが(例えば夏目漱石現代日本の開化」とか、そういう時代)、女の子の研究をしている私などに言わせると、近現代といえばそう、女性の地位が下がったり下がってることに誰かが抗議したりする、そんな時代でもあったのですよ(例えば『青鞜』とかそういうの)。
さてさて、その近代(明治の中頃から大正、昭和初期くらいの)日本では、女の子は処女でお嫁にいかないといけないし、処女じゃない女の子は価値がどーんと下がって後妻とか妾とかそういったものにしかなれなかったのです。でも大正ロマンとか昭和モダニズムとか、女の子が社会に進出し始めると、やっぱり親の決めた見合いで結婚する女の子の方が一般的なんだけどちょっと例外も増えてくるのです。えー、自由恋愛とか恋愛結婚とか、そういうやつです。で、自由恋愛というと聞こえがいいけどその実態はもうなんか筆舌に尽くしがたいからまた今度に回します。その自由恋愛の果てに、「婚外の妊娠」という事件(事件ですよ、だってスキャンダルだもん)が勃発するわけです。さらにこの自由恋愛をする女の子たちというのは、「ハイカラ」とか「モダンガール」とか(どっちも蔑称ですよ)呼ばれて、悪魔のような小悪魔のような、エロ女神みたいな、まあいろいろいたわけですが、数が少ないから男の子が群がったり取り合ったりするわけです。それって男の子にとっては非常に都合が悪いことなんですよ。なんでかって? 「男社会」は男の子の紐帯で機能していますから、女の子がその男社会に混ざって男の子を「恋敵」とかみたいな感じで分断してしまうと、社会が機能しなくなるのです。腐女子フィルターを装着すると男社会なんて総ホモみたいなもんですがね。当の男の子たちは本気で自分たちの社会を守るために女の子を排除します(これは現代昨日今日に至るまで同じです)。その排除の仕方が激烈で、妊娠させて出産に失敗させて殺してしまう、そんな排除。そういう意識的無意識的な意図でもって書かれた小説の一部が「妊娠小説」というわけです(斎藤美奈子的には。例えば、森鴎外の『舞姫』、村上春樹の『風の歌を聴け』を、同じジャンルとして同じ棚に(比喩ですが)並べる人はいないでしょう、それを隣り合わせに並べさせてしまうのが、この新しいジャンル「妊娠小説」なのですよ)。
そこで、本題に戻りましょう。
 
女の子が書いた「妊娠小説」を、私はなんと呼べばいいんだろう。
 
島本理世『大きな熊が来る前におやすみ。』はの表題作「大きな熊が来る前におやすみ。」は、生い立ちから来るトラウマのある男女(「私」&「徹平」)が、恐る恐るしか相手と接することができない同棲をして、ものすごくちょっとずつ相手のことを知りながら歩み寄っていく中で、女の子(「私」)が「妊娠」が発覚、男の子と両方ともそれぞれでパニックになって一日くらい冷却期間を置きまたゆっくりと歩み寄る、というようなお話で、こんだけさっくり梗概にしてしまうとラノベなんだか文学なんだか文芸なんだかよくわからないけど多分書店では文芸の棚に並んでます。見るべきところはたくさんあって、上述の「恐る恐る」とか「ものすごくちょっとずつ」とか「ゆっくりと」とかがこれは表現の問題として重要だし、彼らの生い立ちやトラウマ(特に女の子の方は深刻、私は身に沁みて深刻に受け止めました)は社会問題にしてもいいくらいだと思いますし、DVとか家庭内暴力とか(一緒か)教育に名を借りた虐待とかはもう筆舌に尽くしがたいので、他の読者の方たちに譲りましょう。
私がこの小説で問題にしたいのは、女の子が書いたというにもかかわらず「妊娠小説」の要素をいくつか搭載しているということなのです。
まず、こちらの引用部分です。

【…】土曜日の朝になって、朝食を食べていたとき、気持ちが悪くなって吐いてしまった。さすがに嫌な予感がした。私はどんなにひどい風邪をひいても、めったに吐かないタチなのだ。本当に風邪なのかという疑いが頭を掠めたが、ほかに思い当たる症状もない。【…】(四三-四四頁)

体のだるい日が続いて、微熱が続いて、でもほかに症状がないから週末に病院へ行こうと思いそれを決行する土曜日のエピソードです。次の引用はその直前のシーン。「私」が変調を来す前の週の週末、公園でボートに乗っている「私」と「徹平」。

【…】深い意味はないとはいえ彼が子供という単語を出したことに動揺して、私はそれを悟られないように目を伏せた。そういえば最近遅れ気味だな、ふいにそんなことを思い出しているうちに彼の肩が大きく動き、【…】(三七頁)

閑話休題、いざ病院に行ってからは次の通り。

【…】一時間近く待ってからようやく診察室に通された私は、一通りの問診を受けた後で、あなたは風邪ではないと言われた。
 そして指示されるままに移動した診察室でようやく結果を告げられた私は青ざめた。
「もう少しで三ヵ月ですね」
「嘘でしょう」
 とっさに呟いた一言は、小声のつもりだったのに、先生の横に立っていた看護師の女性が一瞬だけ窺うような目でこちらを見た。
 それでもにわかには信じ切れずに
「間違いということはないんでしょうか」
 そう問いただすと、目の前の初老の先生は慣れた口調で
「結構多いんですよ。あなたみたいに気をつけてたから心当たりがないって人はね。だけど、まあ、どんな方法も完璧じゃないから」(四五-四六頁)

はい、引用は以上です。
これね、斎藤美奈子の『妊娠小説』読んでからこの一連のシーンを読むと、もう「妊娠小説」以外の何にも見えないのですよ。というか、これ書いた人、ほんとに女? みたいな。いや、妊娠したことがない女性は妊娠についてよく知らないのは当然です。男性が知らないのと同じようにってわけではないにしても。
一般に病院で「○ヶ月」という時、最後に月経があった日(その月経の最初の日)から数えて何ヶ月か、という数え方をします、私の知る限り。だからここで「私」が「三ヵ月」と診断されたということは、少なくとも二ヶ月半、この妊娠は放置されていたということですね。だいたいひと月に一回くらい月経があったとして、排卵日がちょうどその真ん中あたりだとして、そこで妊娠して半月後に来るはずの月経が少なくともふた月遅れているという計算になります。中学生や老人ならそんなこともあろうかと思いますが、妙齢の女性でこれはあり得ないと思うんですよ、私はね。一週間も遅れたらまず疑おうよ、「私」。ふた月って、「そういえば最近遅れ気味だな」程度じゃないですよ。今風にいうと常考ってやつですね。しかも「ふいに」そう思うって。常日頃セックスする相手がいて月経が遅れたら、まず疑ってかかったり毎日ぱんつをチェックしてまだ来ないまだ来ないとか思い煩うものだとばかり思ってました。現代ではその辺の薬局で売っている妊娠検査薬なら月経の予定日を一日過ぎたら判定できます。
だいたい「ほかに思い当たる症状もない」とは何事でしょうか。「三ヵ月」と診断がくだされる頃には悪阻の他に体がだるい、下腹が張る(たまに痛い)、情緒不安定になる、食べ物の好き嫌いが激しくなる(これは悪阻の一部かも知れないけど)、小用が近くなる、乳房が張る(たまに痛い、乳汁が出る人もある)、とかの症状があるのですよ。ここいら辺は「家庭の医学」が参考文献です。
さらに「指示されるままに移動した診察室でようやく結果を告げられた私は青ざめた」、これは技術なのかも知れませんがちょっとだけ卑怯な書き方ですよね。廊下が迷路になってたり建物全体が傾いてたり抜け穴の十四五本もありぬべしだったりする館の部屋じゃないんです。病院でしょう? 部屋にも廊下にもいちいちそこがどこかを示すプレートがかかっているものでしょう、病院といえば。私だったら「指示されるままに移動した診察室」の前で青ざめます(私ならね)。月経がふた月も遅れてて体がだるくて微熱があって産婦人科の診察室に回されたらそこで青ざめますよ(常考って言いたいところだけど我慢して、私ならね)。だから、「にわかには信じられず」って、どうでしょう。
だいいち「私」って、「気をつけてたから心当たりがないって人」なんでしょう? ちゃんとコンドームをつけて、その他にピルを飲むとか基礎体温をつけるとか、してたんですよね?(基礎体温は、朝起きて起き上がる前に舌下で測る体温で、専用の体温計で測り、グラフにつけます。月経が始まると高温期、排卵日にいきなり下がって次の月経までは低温期が続き、月経が始まるとまた高温期に入ります。それはもう、面白いような美しいグラフが毎月描けます。低容量ピルを飲むと基礎体温は一定になるので、両方の方法を同時に行うのは不可能です) 避妊は二つ以上の方法を並行的に用いないと「気をつけて」いることにはなりません。本当に「気をつけて」いるのなら二ヶ月以上も来ない月経を放置はできないでしょう。まあ、「気をつけて」いるというのは医師の言葉なので(「私」が「気をつけてた」って言ったわけではないので)、ここは華麗にスルーしてもよろしいのですが。だからね、分からないことを書くなら調べましょうよ。私が言ってもまるで説得力がないですが。
 
そんなわけで、私は「妊娠小説」ってテンプレが存在するのだと思いました。なんか、アレですよ、ドラマとかでよく女の子が「うっ」とか口を押さえてトイレに駆け込み、洗面台で(便器ではなく洗面台で)水をざーっと流しながら、そういえば生理遅れてるな…って顔をしてお腹(決して下腹部とは限らない)をそっと触る、みたいなテンプレがあるのですよ。きっと。それがあまりにも人口に膾炙しているので、みんなそういうものだと思って書き写しちゃうんですよ。だって、「大きな熊が来る前におやすみ。」、すごいリアルだったんだもん、「妊娠」に関わらないシーンは。父親の暴力とかその巧みな隠蔽とか、「私」自身「隠蔽」を内面化して自らが隠蔽工作に荷担してしまうとか、暴力に対して身を守ることだけ考えて反撃をしないで嵐が過ぎ去るのを待つとか、今でも寝室の扉が開くと布団の中で寝たふりをするとか、自分の近くで人が急に動くと小動物のごとくにびっくりするとか(これは多分病名がつくと思います)、なんでも怯えずに対応できないとか(心を開いているのは短大時代の先輩にだけ、「徹平」はもっとも身近でもっとも愛すべきかつもっとも恐怖すべき相手です。こう考えてみると、幼稚園の先生に就職したのも、自分を脅かす(おびやかす)存在が少ないということが大きいのかも知れませんね)、かと思うと時々妙に積極的(「徹平」を外へよく連れ出すし)とか、事細かく非常にリアルなのです。だから共感を呼んだり、同じような体験をしている読者を恐怖させたりできるのですよね。……それだけに、「妊娠小説」(ここだけ悪口)だったのは惜しいよね、などというふうに思います。
忘れてた。女の子の書いた妊娠小説、これは多分「女の子の書いた妊娠小説」って呼べばいいんですよね。