『細雪』六回目。

細雪(上) (新潮文庫)細雪(上)』谷崎潤一郎


六回目にして、上巻を一からやってみる気になりました。
頑張ります。


☆『細雪(上)』第一章(五頁−九頁)

○使用テキスト:谷崎潤一郎細雪(上)』新潮文庫版。
昭和三十年十月三十日初版発行、平成九年四月十日九十刷改版、平成十六年八月五日百二刷発行。
注解は細江光。

○梗概
演奏会に出かける支度をしながら、幸子と妙子はまたもや持ち上がっている雪子の見合い話の相手について、云々している。条件は悪いというほどではないが微妙に気に入らない感じ。当の雪子は先に支度ができてしまったので、階下で今日は留守番に置いて行かれることになって機嫌の悪い悦子のピアノの稽古につき合わされている。

○気になる言葉とか
(五頁)
こいさん(二行目)(cf「中姉ちゃん」(八頁一行目)。)
下のあるいは末のお嬢さんの意。
この後も頻出するが、ここでまとめて説明をしておこうと思う。関西語では、「お嬢さん」を「いとさん」とよぶ。この呼び方にも色々あって、一応体系だってはいる。「幼し」あるいは「愛し」からきていると思われる「いと」に敬称をつけた形で、自分の娘にも他人の娘にも使う。天明頃は男女児ともに「いと」を用いて呼ばれていたが、寛政頃からは男児に「坊(ぼん)」女児に「いと」と使い分けるようになる(「坊(ぼん)」という呼び名は、第三章以降に出てくる奥畑の三男「啓坊(けいぼん)」にあてはまるか)。
で、下のいちいちの説明であるが、()内は矢印に従って堅苦しくなくなっていく変化形を示してみた。
いとさん(→いとはん→いとやん)(とうさん→とうちゃん→とうやん)
一二、三から結婚前までの娘を指す。大阪船場(山の手上流階級)では、「いとはん」を避けて「いとさん」と呼ぶ(ちなみに「いとやん」は非常に親しみのある呼び方で、でも丁稚なんかが主家のお嬢さんに向かって「いとやん」と呼ぶのが確認されている)。「いとはん」という呼び方は明治になってから広まったらしい。「いとさん」から言い易く音便化されて「とうさん」になる。
上の娘を「姉いとさん」中を「中いとさん」、末を「小いとさん」と呼ぶのは、平安の古典の時代から同じ(上を「大君」中を「中君」末を「小君」と呼ぶのが古典文学とかで一般的な呼び方みたいだし)。
・なかいとさん(→なかいとはん)
で、二番目の娘は「なかいとさん」と呼ばれるわけだが、『細雪』では幸子がこれに当たる。八頁の一行目で幸子は妙子に「中姉ちゃん」と呼ばれているのは二番目を「中」と呼ぶので同じ理屈(ちなみにルビに「なかあんちゃん」と振られている「中姉ちゃん」の読み方は「なかんちゃん」)。
・こいとさん(→こいとはん・こいさん・こいこいさん→こいちゃん)
「小さいいとさん」の意で、「小いとさん」。主として家族間で用いる(どうでもいいけど関西人歴長いのに知らなかったよ、私)。
・襟を塗りかけていた(三行目)
現代では化粧をする際に首と顔の色を合わせるということがさかんに言われる(主にファッション誌や化粧品売り場において)けれども、昔から同じではある。白粉というのは普通に本当に白いので、顔だけ出なくて首、肩、つまり着物を着て見える部分全部に塗るのである。わかり易い例として、映画『吉原炎上』とか『陽輝楼』とかで、「芸妓」や「女郎」が上半身肌脱ぎになって肩の辺りを塗る図が出てくる。現代でも舞妓、芸妓、芸者のように着物を着て顔に白粉を塗る職業の人を仔細に見ると、首も真っ白である。で、着物を着る前に襦袢の上半身を肌脱ぎになって見えるところまで刷毛で塗るのだが、ここでようやく『細雪』に戻ってくると、六頁冒頭三行程で、妙子が幸子に白粉を塗っているが、「幸子の肩から背の、濡れた肌の表面」とあるのは上半身およそ全体を脱いでいるということになるのかな、と(なんかいやな視線になってきたよ?)。「肌の表面」が「濡れ」ているのは、白粉というものが水に溶いて塗るものだからだね。
・演奏会(一二行目)
またもや『エマ』の話で恐縮だが、森薫『エマ』五巻にもまさに「演奏会」の様子が描かれている。『細雪』では第六章でこの「演奏会」の説明がなされている。「阪急御影の桑山邸にレオ・シロタ氏を聴く小さな集りがあって」とある。第一章冒頭に悦子がピアノを弾いている様子が描かれているが、裕福で家が広ければピアノを応接室に置き、置いている以上は娘が習い、演奏会を行う、ということで、西洋化した文化の中では普通によくあることなのだな。後に踊りの発表会も開かれているし。ひいてきた『エマ』では一九世紀末イギリスの上流(含貴族)家庭の話なので多分に様式化されているけれども『細雪』ではもう少し簡単な集まりであったかもしれないと思うのは、蒔岡姉妹が「もう一時過ぎやわ。早うせなんだら済んでしまう。」などというほど遅刻しても問題なさげに振舞っているからである(だいたい、蒔岡姉妹も物語がもう少し進むとものすごくゆっくり観劇に出かける場面があるが、日本の芝居などは一日中かけて一本だから、好きな時に行って好きな時に帰るというようなシステムで、そういう古い日本の文化で生きていると、定刻に始まって定刻に終わる西洋式の催しになどは行きにくいのであろうなと)。
(六頁)
・サラリーマン(七行目)
吉屋信子『良人の貞操』に出てくる「良人」の一人も「サラリーマン」である。大正時代以降給料をもらって生活する「サラリーマン」が増えて、蒔岡家のように自営業で「主家」(雇う側)をずっとやっていれば「サラリーマン」なんて雇われ者は結婚相手として甚だ面白くない相手だろう(彼ら的雇われ者はつまり丁稚とかそういうものだし)。
(七頁)
文化住宅(八行目)
「文化○○」とは、大正時代からでき始めた概念で、「ちょっと便利」とか「和洋折衷」とか、そういう存在を指す言葉であると思われる。「文化住宅」は小さくて(簡便な)和洋折衷の新しい様式の住宅のことだし、「文化包丁」は簡便で用途によって使い分けないちょっと使いの(西洋式(というよりは和洋折衷)の)包丁のことである。
ところで「文化住宅」といえば、関西には別の定義の「文化住宅」が存在する。広島あたりでは「十軒長屋」などと呼ばれている、二階建ての長屋のことである。一軒ずつの家だが、外側は一軒の建物。外箱の中に分離不可能に仕切られた内箱が入っているようなものだろうか。こういう住宅は、第二次世界大戦後アパートやマンションが多く建ち、姿を消して行ったようだが、関西には現代でも外側は一軒だが中側は完全に仕切られていて二軒になっている(玄関も二つある)というような住宅が少なからず存在する。で、関西のそれほど若くない人に「文化住宅とはなんぞや」と聞くと、いまだに長屋の方だと答える人の方が多い気がする(若い人だと「文化住宅」という言葉自体知らなそうだが)。だが『細雪』でいう「文化住宅」は、関東でいうところの文化住宅で、和洋折衷式の簡便な住宅を指していることは間違いないけど。
係累(一一行目)
広辞苑には「特に自分が世話すべき両親・妻子・兄弟など」とある。この場合は、嫁ったさきでの舅や姑、小姑、義弟、連れ子、まあそういったもののことである。
結婚するのに「係累」がいないことはとても大事だ。現代なら特にそうだろう。現代では特に近い将来老人になることが確定している配偶者の両親などが主に取り沙汰される。『細雪』の時代だと、ある種の病気などを持つ「係累」はひた隠しに隠されていたりする。ある種の病気などを持つ者自体が「家の恥」であったりするからね。実際、『細雪』物語中の、雪子の三人目の見合い相手は母親が精神病であることから、蒔岡家の方で破談にしている。ある種の病気などとは、精神疾患結核、らい(変換できない。「きちがい」もそうだが、差別語かなんか知らないが一般的な名詞として差別する心なんてまるでなく使おうとしている時に変換できないと甚だ腹立たしいね。現代の文章以外には言及するなとでも言うつもりかと。そういう言葉狩りの心が差別を生むのだが、それに気づけよ)、身体が生まれつき不自由である、などのことだ(ほかにも、第三章以降しばしば言及される妙子の醜聞(新聞の事件)などのように不祥事を起こした者とか、犯罪者とか特に思想犯とか、被差別部落出身者と結婚した者とか、そういう者が身内にいるとなかなか結婚相手が見つからなかったりする。この場合、それらの身内は厳密には「係累」ではないけど)。
(八頁)
・紅棒(八行目)
「コティの棒紅」といえば女の子の憧れで、多分大正・昭和時代日本で最も売れてた化粧品メーカーだよね。吉屋信子少女小説群にも非常にしばしば登場する。ただし、化粧品を持っている女の子はおよそ「不良」として描かれているけど。『わすれなぐさ』(長編の方)『三つの花』など。なんとなく森茉莉も言及してそう。

○考察
・物語の印象的な始め方。