『細雪』五回目。今日はおなかが痛いの。

細雪(中) (新潮文庫)細雪谷崎潤一郎


細雪』(第十七章)、(一三五頁−一四六頁)。

梗概。
台風一過、(安普請の建物に恐怖した)幸子は、(同じく安普請の建物に恐怖して)神経衰弱の悪化した悦子を連れて急遽築地の浜屋へ移った。不眠症になったり東京と関西との比較などを頭の中でつらつら考えたり、鶴子と昼食に出かけたりその際昼間からビールを飲みながら各々の使う女中の店卸し(一応相手の持ち物を褒める形で)をしたりする。女中といえばお春の話になり、お春は使い勝手はよいがまったく不潔でだらしなく賢いのか馬鹿なのかわからないが、素直で情愛があって憎めない娘で人徳があるものだと、まとまったりする。

語釈…、になってないよね途中でやめるから。
(一三六頁)
・夫を家に残して娘と二人旅先の宿に泊まるなどということ(七行目)
女の人は旅をしないし。
・神経衰弱(一二行目)
神経衰弱=男の病気、ヒステリー=女の病気、という印象があるが。「神経衰弱」はインテリジェンスの男性がかかるもので、「ヒステリー」は「神経衰弱」に罹っている男性の周辺にいる知的水準の相対的に低い女性が罹って、その「神経衰弱」を促進したり本物にしたりする効果があるような。元来「ヒステリー」は辞書的には神経衰弱と同義である。
・籐椅子(一六行目)
籐細工は江戸東京の伝統工芸。明治になって椅子文化が流入すると籐椅子も作られるようになる。
(一四一頁)
・お嫁に行く迄は(七行目)
女中は結婚するまでの職業。若い女の子の職業である。女工も女給も女郎も何でもそうだけど。そういえばメイドもそうだったね。森薫村上リコ著『エマ ヴィクトリアンガイド』によれば、結婚するまでのあるいは「きちんとした」職業を身につけるまでの、若い女の子の暫定的な職業。まれにエキスパートになったり「頭」のつく女中(あるいはメイド)になったりする、とある。北原白秋作詞の童謡『赤とんぼ』にも「十五でねえやは嫁にゆき/お里の便りも絶え果てた」とある。「ねえや」とは女中の意であるから、「ねえや」は(おそらく口減らしのために)女中奉公に出て、一五歳で退職して結婚した、と。例は枚挙に暇はないけれども。
女中は低賃金(たまに無報酬もあったかも)で長時間休みなく働くというような、「女中になるくらいなら女工にでもなったほうがまだまし」などと言われるような職業である(どこで見たか忘れたところが痛いけど)。「女工」といえば『あゝ野麦峠』や『女工哀史』などにも書かれているけれども、非人間的な職業の代表とされているような職業である。女工という職業については企業の従業員の話なので記録に残りやすく、女中という職業はおよそ家庭内の出来事であるので、記録に残りにくいのだということだね、多分。
戦後、労働条件や賃金の悪さなどの理由から女中はなり手が減り、絶滅の一途を辿ることになる(現代では「女中」という名称は差別語であるとのことから廃止され、「お手伝いさん」「家政婦」と呼ばれるようになっているが、労働基準法もできたりしてやっぱり戦前の「女中」とは別のものであるようだ。「メイド」は現代に至るまで名称も実態も残っているがおよそ「女中」とは別のものである)。