集中講義二日目、それとは関係なく、『細雪』一〇回目。

細雪』一〇回目、上巻第五章(三二頁−三七頁)。

帯が鳴るのがものすごく楽しくて、三人で笑い転げるという話。

○使用テキスト:谷崎潤一郎細雪(上)』、新潮文庫版。

○梗概
幸子の締めた帯が、先日の演奏会でキュウキュウ鳴ったといって、雪子が取り替えさせる。締める帯締める帯みんな鳴るので、一向に準備が終わらない。妙子が新しい帯だから鳴るのだということに気づき、ようやく、流れ作業的に帯を締めて注射を打ったところへ、忘れていた井谷からの電話がかかってくる。あーあ。

○語釈(?)
(三二頁)
・箪笥の開き(一二行目)
現代だと「箪笥」といえばおおかた「整理箪笥」を指す(引き出しばっかりいっぱいある箪笥のことね)(箪笥のない家も結構見る。クローゼットとか、衣装吊と衣装ケースだけとか)。でもここで言われているのは和箪笥で、和箪笥には引き出しと扉を引き開ける部分とある。で、「開き」を開けると浅い引き出しがいっぱいあって、帯とか着物とか包んだ畳紙を、入れるようになっている(あと上の方に狭い引き戸部分もあって、小物とか入れるようになっている)(ちなみに洋服箪笥の扉部分も、「洋服箪笥の開き」と呼ぶ)。
・観世水の模様(一五行目)
「着物 模様 観世水」で検索してトップに来た結果。
http://members.at.infoseek.co.jp/nwakana/kimono/moyou.html
上のページのサイトトップ(だけど、なんか閉鎖されたサイトの住所に新しく開設されたサイトに飛んじゃうみたい。だから一応ね、一応)。
http://members.at.infoseek.co.jp/nwakana/index.html
二番目に来た結果。
http://www.din.or.jp/~m-o/nihon/mon02.html
上のページのサイトトップ。
http://www.din.or.jp/~m-o/nihon/nihon.html
観世水のほかにも水系の模様は結構あって、夏場とかめでたい時とか、画面の切り替えとか賑やかしとか、いろんな使い方をされるのだ(ちなみに読み方は「かんぜすい」)。
(三三頁)
・露芝の(一一行目)
上の二つ目のサイト。
http://www.din.or.jp/~m-o/nihon/mon03.html#10
「露芝」ってアレンジの多くできそうな柄ね。
・お太鼓(一四行目)
綺麗な写真がたくさんあるから、イメージ検索の結果を:http://images.google.co.jp/images?q=%E5%B8%AF%E7%B5%90%E3%81%B3%E3%80%80%E3%81%8A%E5%A4%AA%E9%BC%93&hl=ja&lr=&sa=N&tab=wi
亀戸天神の太鼓橋が落成した時(文化一四(一八一七)年)に深川芸者がみんなで記念に渡った折に結んでいて大流行した帯結び。現代の形に完成を見たのは、明治・大正期であると言われている(が、無形文化の場合どれが完成でいつ成立なんて必ず言い切れないものだ)。それまではよく似た(というかそっくりな)結び方が「路考結(ろこうむすび)」と呼ばれて存在した(参考サイト一:http://cgif.nifty.com/fkimono/kword/kword.cgi?00202、同じページのトップ:「着物フォーラム」http://forum.nifty.com/fkimono/)。そもそも「お太鼓結び」は深川芸者が考案して、前述の太鼓橋落成の折に初披露されて流行したもので、つまり、花柳界から生まれた流行りものだったわけだ(参考サイト二:http://homepage1.nifty.com/ooedo/ed_kimono/ed_kim05.html、同じページのトップ:「お江戸で遊ぼ」:http://homepage1.nifty.com/ooedo/ed_open.html)。それが現代ではほとんど最も正しい(正装の折にも用いられる)結び方として世間に通用している。文化なんて流動的なものであるということがよくわかるというものである。
亀戸天神(サイトもあり:http://homepage3.nifty.com/tenjindori/tenjin/)は寛文二(一六六二)年勧請、すべての施設が九州太宰府天満宮にならって似せて作られている。太鼓橋と藤(藤祭りとか、広重の画とか)で有名。
・帯締(一七行目)
先に出た「お太鼓結び」という帯結びは、帯だけでは結べない。帯自体を体に巻いて結んだところで余り部分を二本の紐(と一本の仮紐)で美しく体に飾り付ける。その紐のうちの一本が、「帯締め」で、背中部分を整形して最終的に形を整える(ちなみにもう一本が「帯枕」とその付属の紐で、帯の背中側を立体的に整形する)。一般に組紐を使う。
最近では浴衣を着て帯を締めて帯締めを付けるというような使い方をする人もいて、着物文化って流動的。
(三五頁)
・注射(四行目)
家庭で注射って、認可されているのね。『細雪』以外の表象作品中だと、映画『パニック・ルーム』で低インシュリンの女の子に母親が注射していたりするけど(参考サイト:http://medicine.cug.net/kaitei/a040422.htm、同じページのトップ:「発掘!やくやく大辞典」(可愛い名前だにゃ)http://medicine.cug.net/index.htm)。
・自動車(一〇行目)
一七六九年、フランスで世界初「蒸気自動車」が発明されて、一八八五(日本だと明治一八)年にドイツでガソリン・エンジンの自動車が発明される(発明したのはダイムラーさんとベンツさんだ、びっくり)。日本に初輸入されたのは、明治二九年とか三一年とか言われているが、あんまり定かではないとか(参考サイト:「日本自動車百年史」http://www.st.rim.or.jp/~iwat/index_j.html)。
でもこの場面では「タクシー」の意味。現代でもよく言われるよね、「車呼んで」とかって。

○考察
☆着物の話
「観世水」とか「露芝」とか、他にも多数、この場面には帯がたくさん出てくる。他にも着物とか畳紙とか、要するにたくさん着物を持っているという描写である。働く階級の人は着物は洗濯用に二枚持っていればよい方で、着物はたくさん持っていれば盛っているだけ裕福だということである。しかしそれだけではまだだめで、御用の呉服屋は一軒だけで全て用を済ませるもので、箪笥の中に色々な呉服屋の畳紙(たとう)(着物を畳んで仕舞う時に入れる、着物用の紙包み。着物はそのまま箪笥に入れないで、必ず一枚ずつ畳んで畳紙に入れてから仕舞う)がばらばら入っているのは甚だみっともないことである、というのが真のお金持ちの態度である。
幸田文『きもの』では、幸田露伴の長女の婚礼支度について着物の点から長い文章で描かれているが、そこに出てくる着物もおそらく出入りの呉服屋一軒で用意させるというものであろうし、呉服屋にとっては婚礼というものは非常に重要なイベントであったし、現代でも多分そんなところはまだあるのではと思われる。