集中講義三日目、それとは関係なく『細雪』一一回目。
『細雪』一一回目、上巻第六章(三七頁−四三頁)。
雪子が悦子を大好きな話。
○梗概
雪子が本家に寄り付かず、蘆屋の分家幸子の元にばかりいるのは、幸子の娘悦子がいたく好みで、、大好きだからである。本家には子どもは大勢いるが男の子ばかりで、女の子は乳児しかいない。
しかし他人(あるいは本家)から見れば、雪子が幸子の子ばかりを可愛がるようにも見え、幸子夫妻の方で雪子を子守代わりに重宝して本家に帰らせないようにしているようにも見えて、体裁が悪い。幸子の夫貞之助はそのように言うが、雪子は本当に悦子を好きなだけであるという。幸子の方も、自分は縁遠く手に職もない雪子を不憫がって玩具を与えているようなものであるとし、悦子は母親が誰かなどはちゃんとわかっていて頼るべきは幸子とわかっていると言う。
そんなわけで(ただ雪子はピアノの会だけはどんな折にも必ず出かけるから今回も出かけてしまうけれども)、貞之助と幸子と妙子の食事の約束は欠席して、先に家に帰る約束を、悦子としているのである。
○語釈(?)
(三七頁)
・小女(こおんな)(一五行目)
女中。小間使い。
(三八頁)
・綴方(一一行目)
作文教育。あるいは「生活綴り方」の略で、戦前戦中の教育活動の一環(主に東北地方の貧農の子どもの通う小学校で行われた、綴り方を通して自分たちが貧しいということを知り、それがなぜなのか、またどうすれば窮乏せずに生きられるのかを考え、生活する意欲を起こさせようとした。しかし政府は「農民に貧乏であることをわからせてはならない」という方向だったので、この運動は激しい弾圧にあった。思い切り掻い摘んでいうとそんな感じ)。でもここでは、単純に作文教育の意味。
(四〇頁)
・寝台(一六行目)
(四一頁)
・胸の病(九行目)
・流感(一一行目)
(四二頁)
・家庭教師(一行目)
平安時代には既に見られて現代では使われなくなっている用法だが、