輝夜姫を全部読みました。

10年くらい前に読んでた「輝夜姫」というマンガを今日ちょうひっさしぶりに手に取りました。ブクオフにいったら文庫で揃ってたので、完結したってことも知ってたので。5巻から14巻まで読みました。営業の妨害になってたらごめんなさい。話としては、切り刻まれて亡くなっちゃったドナーのみんなが次々よみがえる辺りから、話が大掛かりになってそのわりに境界の小娘の共依存の心中の余波が大きかったりラスボスらしきおっさんにイライラさせられたりそして月へ出て行って全てが解決して主人公が結婚する、という感じです。登場人物の行動原理がだいたい恋愛沙汰です。読みながら強く感じたのは、晶はミラーにしとけばいいのに何で由にこだわるのか、イライラ、ミラーはサットンにしとけばいいのに何で晶にこだわるのか、イライラ、まゆは話をひっかきまわすんじゃねーよ、イライラ、そんな感じです。まゆの場合は、己の黒歴史をも髣髴とさせるので、余計イライラしました。
でね、思ったのは、やっぱ私商業BLよりやおいの方が好きだ、ということです。男同士でいちゃいちゃしたりくっついたりするのがちょっと異端、あるいは友情だろとか仲間だろ俺たちはって言い訳できたり逃げ道られたりする、という世界の前提がありまして、つまり現代の日本のたいていの共同体と同じ前提で、あえて、男同士がいちゃいちゃしてる、ていうのがよいのです。それは、本当にただの友だちや先輩後輩、仲間、戦友、同級生、パーティーの構成員、同僚、などで、世界の外から見てると(つまり作品を読んでいる私から見ると)なんか顔近いね萌え、だったり、ふたりで協力して技を繰り出すなんてステキ萌え、だったり、信じて投げろ萌え、だったり、つまりホモじゃないものにホモくささを見出して萌えてる状態がほとんどです。そうでない場合、これは白泉社の少女マンガによくあるような気がするんですが気のせいかも知れませんが、俺ホモじゃなかったはずなのに何でこいつのことがこんなに気になるんだろう、とか、男を好きになってしまうなんて俺はどうかしている、とか、人生がそれで終わりそうなほど(でなくても)悩んだり苦しんだり考えたり一生分頭使ったり、するのがよいです。実際にゲイで社会と折り合いをつけにくくて困ったり苦しんだりしている方がもしうっかりこの辺を読んでしまわれたら、ごめんなさい。私も昔はいろいろありましたので、実際に社会と折り合いをつけることについて悩んだり考えたりいろいろした後、今に至ってこういう心境になったので、全くの無理解な博物学的興味とかオリエンタリズム的称揚とかでは全然ないので、許してください。
私ね、商業BLとか二次創作とかによくある、登場人物が次々ホモっていう図があんまり好きじゃないんですよ。彼らに葛藤がなさげなのも好きじゃない。ひとつの学校のひとつの部活にそんなに3カップルも5カップルもいてたまるかってんです。アレです、10人しか部員がいないのに5カップル成立とかちょっとキモい、って感じです。彼女いるのにホモにされてるとか気の毒です。いや、楽しく読ませていただいてますけど。で、「輝夜姫」はわりといろいろよかったな、と思った次第でした。気になる子はできるけど、カップル成立まではいかないんです。そして、ラストに、記憶を失ってもとの生活に戻る彼らは、カップル成立寸前までいったこととか懐かしんだりしないで前向きに生きていくのです。お気の毒です、いや、いいことです。