『マリア様がみてる』に注釈をつけようの会(仮)、第三回。

マリア様がみてる 1 (コバルト文庫) 今野緒雪マリア様がみてる

引用です。
温室育ちの純粋培養お嬢さまが箱入りで出荷される、という仕組みが未だ残っている貴重な学園(六頁一五行目〜七頁一行目)
昨日、女学校の話をちょっとしましたが、女学校というのはもともとこの引用部分にあるような温室育ちの純粋培養お嬢さまを箱入りで出荷するような機能を持つものでした。というか、むしろそれを主目的にして作られたようなものです。
もう少し固いいい方をすると、女学校とは女子の教育機関であると同時に、未婚の少女をを未使用のまま保存し管理するための倉庫だった、というようなことです。上の保存とか管理とかを一般的な言葉でいうと、嫁入り前の娘が勝手に恋愛したりセックスしたりしないように監視していた、というようなことです。業界ではこれを、「少女の囲い込み」と呼んでいるようです。
小学校を卒業した少女たちは条件(例えば学資とか学力とか学校と自宅の距離とか)が整っていれば女学校へ進学し、教養とか実技とかを身につけて、卒業が近づく頃には結婚適齢期になっているので縁談に応じて嫁にいく、というようなシステムだったようです。もちろん卒業を待たずに結婚したり退学したりする例もたくさんありました(これは言い切れます)。
例(明日説明しましょう)。
美人論 (朝日文芸文庫) あぐり 完全版 DVD-BOX 梅桃(ゆすらうめ)が実るとき (文春文庫) はいからさんが通る(1) (KC デザート) 笑う大天使(ミカエル) (第1巻) (白泉社文庫) 動物のお医者さん (第1巻) (白泉社文庫)

左から『美人論』『あぐり大和和紀はいからさんが通る
川原泉笑う大天使(ミカエル)』
佐々木倫子動物のお医者さん
「出荷される」というからには、市場があります。「結婚」市場(「縁談」市場とか「見合い」市場とか)がそれです。女学校を出た少女は、「結婚」市場に売りに出される商品といえるでしょう。この場合買い手は、しかるべき(つまり、所属する家と釣り合った、あるいはもったいなくも少し格上の、さもなくば何らかの事情により格下の)家柄の「家」です。早くに買い手がついて「片づけ」(そう、嫁にいくことを「片づく」というのです、古道具みたい。でも今も使いますよね、嫁にいくことを現す「片づく」)ばよし、卒業するまで嫁ぎ先が決まらずにいるのは今でいうなら就職浪人も同然ですし、若干肩身が狭いことになります。卒業してもさらにずるずる決まらないのはしまいには「老嬢(オールドミス)」とか「いかず後家」とか呼ばれてさげすまれるのです。だって今と違って結婚して子どもを産むのが当たり前の時代ですから(教育だってそのために受けるのですから)、嫁にいかないのは何か重大な欠陥があるのかも知れないということになってしまいますもん。
さて、ようやく『マリア様がみてる』に戻ってきますが、リリアンには「未だ」この「出荷」システム、が残っているということです。つまり、『マリア様がみてる』に登場する女子高校生たちも、つまり上に述べたような「結婚」市場に「出荷」されるべく、リリアン女学園で育成されている、ということなのですよね。
ちょっと気になったのは、作品冒頭のこの記述からは、上に述べたような女子学生出荷システムに対する疑問とか批判とかがまるでないところです。いや、批判しながら書けといっているのではありません。未だに、こういったシステムは当の女の子からすら問題視されないのだなあと、いう、感慨を持ったので、このシステムに注釈をつけました。