『マリア様がみてる』に注釈をつけようの会(仮)、第四回。

いつもよりさらに支離滅裂なので、いい加減文章というものを愛情持って書く生活に戻りたいと思う今日この頃です。マリみて、DVD三期が発売になったりマンガ六巻が発売になったり知らない間に春のアルバムとか三枚も出てたり、検索が大変になってたり。今日帰りにマンガ買って帰ります。

マリア様がみてる 1 (コバルト文庫) 今野緒雪マリア様がみてる』。
引用です。
・「【…】間違いなくってよ」(九頁一一行目)

今日の注目は、祥子さま登場第一声の語尾です。「間違いなくってよ」の、「てよ」。
この言葉は、現代でこそ「お嬢さま言葉」などと呼ばれて珍重される傾向にありますが、発生当時は非常に低い地位に置かれていました。今日はその件についてお話したいと思います。
祥子さまが使う「〜てよ」は、他にも「〜だわ(〜ですわ)」「〜ことよ」「〜ですの」などと併せて「てよだわ言葉」あるいは「ことのて言葉」と呼ばれて、発生した当時と思しき明治及び大正時代には知識人や教育人や一般人から苦々しく思われたり目くじらを立てられたりする存在だったようです。これはひとえに、女学生が使い始めたから、女学生が使っていたから、女学生の間で流行っていたから、女学生が(卒業してお嫁に行ったり社会に出たりしてからも使っていたことによって)世間の婦人の間に流行らせたから、というような理由、つまり、発信が女学生であったことが、大きな問題だったみたいです。そもそも女学生の風俗というのは別に乱れてなくても乱れているものとして扱われ、とりあえず女学生だから批判しておく、みたいな批判にさらされていました。曰く、髪を髷にしないでただ結って垂らしているのが幽霊っぽい不良っぽい、着物をきちんと着ないで袴(女袴という、スカート式の袴)なんて履いていて亡国の徒だ不良っぽい、言葉遣いが乱れすぎているから多分頭の中身も乱れているんだ蓮っ葉だし娼婦っぽいから娼婦のような行動に出るに違いない、顔が青白いから幽霊っぽい不良っぽい、総合的にみてきっと性的に乱れているに違いない、こんな感じ。でもね、女学生を見て劣情を催すのは見た方の勝手で、女学生自体の責任じゃないわけですよ。それがあたかも女学生が街中を歩いていることが悪いようないわれ方をするのです。これは、現代の女子学生がマスコミの女子学生批判を見るとよくわかると思います。というか、そっくり。髪を染めたり奇妙な形に結ったりしていて不良っぽい、制服をきちんと着ないでスカートを短くしていて娼婦のようだ不良っぽい、言葉遣いが乱れきっていて多分頭の中身も乱れているんだ蓮っ葉だし娼婦っぽいから娼婦のような行動に出るに違いない、顔に君の悪い化粧をしていて化け物のようだ不良っぽい、総合的にみてきっと性的に乱れているに違いない、こんな感じ。そっくり。ここで言いたいのは、現代では「お嬢さま言葉」と呼ばれて珍重される向きの言葉遣いが、使われ始めたあるいは盛んに使われていたと思しき時代では「てよだわ言葉」「ことのて言葉」と呼ばれてさげすまれ、日本語の乱れを嘆くおとなの攻撃の的になっていた、ということです。それは、敬語の乱れであったり、語尾の聞き慣れなさであったり、女性らしさの消失であったりと、現代の「女子高生言葉」「ギャル語」などが受けている攻撃と同じような論調の、同じようにヒステリックな、攻撃を受けていたということです。
ところで先日私は女学校について述べましたが、そこでいい落とした事があります。それは、どういう人たちが女学校に通っていたか、ということです。戦後学校制度が大幅に改定される以前存在した女学校は、成立から廃止まで、時期や地域や各学校によって若干の幅はあったものの、凡そ一二〜三歳から一七〜九歳の年齢の女の子が、三年から五年、通うというようになっていました。例外として、二〇代の既婚者が復学するとか、そういった場合もあったようです。現代でいえば、中学校から高等学校くらいにあたります。では、一般にティーンエイジャーなら誰でも通っていたかといえば、そんな事はありません。これが現代と大きく違うところ。女学校に通っていたのは、実家の地位や身分が高かったり、実家がお金持ちだったり、あるいはその両方だったり、そういった家の女の子に限られていました。女学校に通うには学費がかかりますし、学用品代も必要です。女子に教育とか頭のよさとかは必要ないとかあまり賢いと嫁の貰い手がなくなるとか、そういった言説は現代でもたまに耳にしますが(「女の子なのに大学に行っててすごいねー」とかいう揶揄もその類で、私は言われた事があります、今時そんなこと言う人がまだ普通に存在するのだなあと思って感慨深かったです)、女の子を学校に行かせる必要がないという考えの持ち主は女学校が誕生した時代には結構多かったみたいですし、それ以前に、家に余裕がなければ女の子は学校なんて行かずに働きます。例えば家業の手伝いとか、よそに働きに出るとかね(いろんな職種がありますが、時代的には、非常に貧乏な農家とか、女工さんとか女中さんとか、売春婦の類の方々とか、そういった職業を想定していただくと、分かりやすいかと思います。娘を学校に行かせている余裕なんていかにもなさげ)。そんなわけで、女学校に通っていたのは地位や身分か金銭的余裕か、その両方か、を持つ親を持つ、そういう女の子たちでありました。つまり、現代風にいえば、女学校に通っていたのはお嬢さま(とかお姫さまとか(?))だったのです。
これらをまとめると、なんとなく、女学生が使っていたからかつては攻撃され、お嬢さま(とかお姫さま)とかが使っていたから現代では珍重される、という図が、簡単に見えてきますよね。現代の社会の中で若い女の子(あるいは「若者」)の言葉の乱れを嘆いたり叫んだりする識者の皆さまは、現代で素敵なお嬢さまが使っている言葉が一〇〇年前とか六〇年前とかに同じようなテンションで「現代の社会の中で若い女の子の言葉の乱れ」として嘆いたり叫んだりされていたことをご存じでなさっているのか、ご存じないのか、ご存じならどのように思っておいでなのか、ちょっと知りたいところです。