便利屋のお仕事。

今年は例年より便利屋仕事が多い気がします。
私、外国の大学で日本語の教員してるんですけど、日本語教えるだけが仕事じゃないですね。先生のお仕事って、小学校も中学校もどこもそうだと思いますが、際限ないですよね。教えるために準備するのも仕事だし、学生が進路やら人生の相談に来たら答えるとか、課題の食事につきあうとか。他にもいろいろあると思いますが、私は外国人だから重要な書類仕事とか全学会議みたいなのとか学科の根幹的な会議とかそういった重大なことは蚊帳の外なので、いくらか楽です。いいことか悪いことかはわかりませんが>蚊帳の外。で、しかし、私には学生やら世話になってる先生やらからの頼まれごとを断れないという性格があります。なので、学生から日本語演劇をするから日本語微妙なキャストの発音とか全体的に日本語監修とかとか頼まれたら断れない、先生から日本語で作る書類の日本語微妙だから見てとか学生に推薦状書かないとだから書いてやってとかとか頼まれたら断れない。だって普段世話になってるんだもん。ご飯もちょくちょくおごってもらうし。<これは多分私が断りにくいようにご飯おごってくれてるんだとは思うけど、でも、私以外の日本人の先生がそういう給料と関係ない仕事嫌いだから私が断ったらこの人どこにこの話頼むんだろうとか頼まれると断れない。ま、やってあげてお礼を言われると気分いいっていうのもあるけど。
そんでね、今日はね、なんと、祝辞を作りました。一からじゃなくて草稿らしきものとメモはあったけどね。私の年相応の祝辞じゃなくて、学長代理がよその学校の何十周年記念とかで挨拶するっていう祝辞ですよ。うわぁ私なんぞが作っていいのか、と思いましたが、作ってと言われたら作るしかないです。断ったら多分困ると思うから。できた文章は誰かもうちょっと下っ端仕事じゃない人にチェックに回されるといいな、とか、チェックに回されたら私の文章が人目にさらされて恥ずかしいわとか(口頭で読まれるのと人さまに文面で見られるのはまた別種の恥ずかしさ)、いろいろあるけどまぁなんていうか、頑張ったよ自分。こうやって人は経験を積むのだと思いました。去年の自分より格段に文章うまくなってると思うわ。あ、100が200になるとかじゃなくて15が52になるくらいだとは思うんだけど。こういうフォーマル的な文章とか作ったことあると、学生にフォーマルな文章とか敬語とかの話するのにもなんか根拠というか自信というか、私がその話しても大丈夫感みたいなものが生まれる気がします。
 
上の文を書き終わってしばらくしたらなんか猛烈に恥ずかしくなりました。祝辞ぐらい誰でもやるやん? したり顔で祝辞作った! とかないわ恥ずかしい。と思いましたが、自戒のためにほっとこうと思いました。あ、したり顔ってのは、ドヤ顔とだいたい同じ意味だと思って使っております。いわゆる「祝辞作った(ドヤァ<半角で」というやつでした。