手が怖いとか思ってた子どもの頃の話。

子どもの頃は、道に落ちている手が怖かったです。なんか、ぽろっと手だけ正確には手首から先だけが落ちているという恐怖の妄想。同じくらいの年齢の女の子たちと私で三人で、なんかやたら怖がって家に帰るのも三人一緒(隣り合った建物に住んでおりました)、遊ぶ時の定番は駐輪場の隅に寄り集まって怖い話、怖い話に登場するのはかならず「手」、という具合です。いくらか冷静になった何十年後の今となってはそれはほんとに怖がってるのかという疑問がわくところですが、当時は本気で怖がりながら「手」の話をしておりました。
関西人ですから、一文字で「て」ではなく、「てえ」です。関西人には一文字の名詞は発音できないのです。「てえ」は、発音的には「かなり抑揚をはっきり発音しようとした時の「恋文」の「こい」の部分」とかが近いかと思われます。一音目が地の底から響くごとくに低く、二音目は普段のトーンに戻る、といった感じの発音になります。
関西人以外の方が関西弁の類を発音なさろうというとき、だいたい「語尾上がりなのよね」とお考えになった末に一音目を普段の普通のトーンで始められて、二音目以降をだんだん高くしていって最終的に鳥の鳴き声のように高い音で締めるといった話し方におなりです。ちょっと昔見た二時間ドラマを思い出してごらんください。湯けむり何とかとか舞妓何とか京都料亭何とかとか大文字何とかとかいう感じで主人公の刑事さん御一行様が京都においであそばしたとき、むかえうつ旅館の女将とかそういった方々のご挨拶とかお話とか、どうしたのこの人というような上ずった声で話してらしたことを思い出す……のは、多分関西人だけで、関西人でない方は特に思い出さない上に説明したって別にそれがどうしたと思うんだということをいまさらになった思い出しましたが、まぁいいと思います。というわけで、関西弁を「らしく」話すコツは、いつもより格段に低いトーンから話し始めて徐々にいつものトーンまで戻してくるような語尾上がりである、と申し上げておきます。いつものトーンから初めて語尾上がりにもっていくと鳥を締められた感じになるのでご注意ですよという話です。あ、語尾上がりだけが関西弁ではありませんが、語尾上がりの件についてはこういう感じでということで。あと関西弁といっても千差万別でひと言で片付けることが不可能なのは関西弁以外の言語と同じであるということも申し添えておきまする。
最近、学校で、関西弁講座とかやってくださいよー先生ーとか言われて、簡単にいってくれるなこの子はと思ったので、このような展開になりましたが、最近はいつもの話し方にちょっと「やん?」とかつけたら関西弁になるって思ってる若い子が多いような気がしました。いや、昔からか。鳥の鳴き声のような関西弁の人は女優さんに多く、やんってつければいいって思ってそうなのは声優さんに多い、けどどっちもだいたい女性であって男性の関西弁キャラ(演者がnotネイティブ)はあんまりいないという印象です。男性にもいなくはない(すぺいんさんとか)、いなくはないですが、最近はーれむ系あにめばっかり見てるからなのか、昔は二時間ドラマばっかりみていたからなのか、そんな印象、女の子が数多く出てくると関西弁キャラとか作っとかないと見分けつかないとか、旅情(非日常な雰囲気)を演出するために関西弁キャラが必要なのだろうとか、いろいろ考えるけどまた今度。
方言を方言らしく話すのは多分語尾とか語彙よりも抑揚が大切なのであります。ちょっと考えてみて、新一と平次が、いや、蘭ちゃんと和葉ちゃんでもいいけど、同じ国語の教科書を使っているとして、それぞれ同じページを音読させられている授業中、同じ文章だけど、平次とか和葉ちゃんとかは確実に関西人だってわかる朗読するよね、これが方言に大事なのは抑揚っていうことです。語尾とか語彙とかは後から後から。方言は外国語と同じく、たくさん聞いて、同じように話してみるっていう環境にいなければどんだけ本で読んで勉強しても難しいんじゃないかなって思った次第です。
で、最初の「手」に戻りますが、小学生女児の三人組はある日道を歩いていて、大型トラックが停車しているのに出会いました。トラックの荷台と車輪のあいだ辺りにはよく作業用のゴム手袋がひっかけてありますね。女児たちはそれを目撃したのです。「うわ、てえや」(「うわぁ!手だ」)と叫んでパニックになる女児たち。いやぁまじで怖かったです。どうやって逃げたんでしょうね、「手」から。
私はこの「「手」が怖い」が沈静化する前に転校して、あと二人の女児たちとは会わなくなってしまったので、そして転校してからはほかの懸念事が増えて「手」みたいなものを怖がっている心の余裕を失ってしまったので、もう「手」が怖いということはなくなったのですが、彼女らはいつごろ「「手」が怖い」から卒業したのでしょうね。聞いてみたいところですが、多分今聞いたって自分が「手」を怖がっていたことなんて思い出さないでしょうね。子どもの時のこととかねちねちいつまでも憶えているなんてあんまり普通の人のすることじゃないのです。だいたいみんな忙しくなって忘れてしまうので。でも私は小さい頃のことけっこう憶えていて、人に楽しく話したりできるので、これはこれで楽しいです。能力ってほど鮮明に憶えてるわけじゃないのがちょっと残念です。