ダンベル

ダンベル何キロ持てる?」というタイトル(表記とか間違ってたらごめんなさい)のアニメを見たんです。面白かった。勢いがいいよね。

ダイエットしようとしたらなんか筋トレ始まっちゃう系で、痩せてきれいになるぞではなく痩せてモテるぞっていうのが、昔は好きじゃなかったけど今はひじょうに可愛く見える。でも結局べつにモテたりするわけでもなくクラスメイトとの友情がはぐくまれるだけ、っていうところも可愛いし。

あとはオープニングテーマ曲が好き。まず掛け声やら合いの手やらの多いネタ曲なのがいいし、歌詞が好き。「頑張るあなたは素晴らしい」っていう歌詞が好き。ダイエットとかってのは、すぐに結果が出るわけでもないことの筆頭でありながらすぐに結果を求めたくなることの筆頭でもあるという、チャレンジャーのメンタルを確実にはかいする特徴を完全装備しているのですが、こうやって褒めてくれる人がいると嬉しいって話。ひとりで頑張れもしない人が痩せられるわけがないみたいな正論とか、誰かに認められたいから頑張るの?きゅるんっ☆みたいな求道者のみなさんが頑張るようなのは、機会があったら私も頑張るけど、私はほめられたら嬉しいからこの歌詞が好き。

 

最近のお仕事

最近のお仕事は、日本語の先生です。大学受験のための日本語を高校生や浪人生と一緒に勉強します。日々、知らない表現とか、ふだん何の気なしに使っている日本語とかについて新しく勉強する機会があって、楽しいです。

今は10月ですが、9月ごろから私立文系の出願が始まり、続いて芸術系の出願が始まり、今はそろそろ私立理系の出願が始まる時期です。11月にはセンター試験みたいな日本語の試験があって、国立の出願は年明けなので、9月から2月までずっとなにかの受験の時期です。

たいていの大学では、出願のために、志望理由書という書類を提出させます。なんでその大学に入りたいのか、ってことを400字とか800字とか2000字とかで書かせる書類です。私はどんな学生にも自分で書かせる方針です。その程度の分量の文章を書けなくて、大学で何を勉強するつもりなのかって思っているからです。そのへんは、しかし、先生によって、あるいは学校や塾によって方針はさまざまで、学生が試験勉強しているあいだに誰かが代筆してあげるという場合もあります。いろいろです。

 

 

最近、猫を飼ってるんですがね

夫の友人の家でたくさん生まれたから友だちに配ってたというのを、うちでももらって、飼い始めてもう四年くらいになります。夏生まれですが、秋にうちへ来たので、名前は秋に由来したいと考え、マロンとしました。小さい頃少し弱々しかったのでたくさんご飯をあげてしまい、まるまると大きく育ちました。頭が小さくすらっと細い体つきの猫種のはずですが、頭は小さいけれど体はまん丸で面白いです。座っている後ろ姿が、輪っかの上にのっている売り物のスイカによく似ていますので、マロンではなくウォーターメロンと名付ければよかったとか、冗談で言います。うちには子どもはいませんが、猫が子どものような感覚です。もっとも、猫の方にしてみれば、そろそろ自分が年上の感覚だとは思いますが。

勉強ばっかりする人生

最近、高校生に受験勉強させる類の塾で働いてるんですけど、比較的学歴高めの講師が小論文対策授業みたいなのすることになったんですね。それで、W大学とかの小論文の過去問題とか見たりするんですけど、解答例とか模範解答とかが見つからなくて、自分で頑張って解答例作ったんです。夜中に泣きながら作文しながら、こういうのがやりたくなくて大学受験時に二次試験の簡単な国立大学を探したことを思い出しました。くそぅ、めんどくさいわ作文。っていう、自虐風自慢風受験の思い出でした。
小論文とか作文というのは、確かに日本語とか国語とかの能力をはかったり、その人がどんなことを考えたりどんなふうに情報を処理したり活用したり眺めたりするのかを見たり、いろいろと有用なんですよね。私も日ごろ学生にたくさん書かせますが、長かろうが短かろうが作文にきちんと取り組んでくれる子は取り組んでくれない子よりひととなりを把握したりしやすいような気がします。もちろん何でもわかるわけじゃありませんが。

方言の思い出。

私の生まれた地域では、「捨てる」のことを「ほる」と言います。正確には「放る(ほうる)」です。「この書類もういらんからほっといてー」。
私が大学生のころにお世話になった地域では、「捨てる」のことを「投げる」と言います。「この書類もういらないがら投げといてー」。
どちらの方言を使っているときにも、共通語使いの方からは「奇妙である」との評価をいただきました。
両方知っている身としては、使う言葉は違えども概念というかすることは同じなのだと思っており、奇妙かどうかは置いておいても面白いなと思っておりました。
つまり、「放る」と「投げる」は同じような意味の言葉なので、遠く離れて違う言葉を使っているのにやってること同じで面白い、と思ったってことです。
ゴミ箱に放物線を描いてぽーいと飛んでいく紙屑のイメージです。

カタカナ

長音記号をいっぱい使うようになったのは、いつぐらいからで、どうしてなんだろう、と、カタカナ語の一覧表を見ながら思いました。
なんとなく、70年くらい前からで、簡単に書けるからかな、と思っていますが、よくわかりません。後で調べます。
つまり、スウェタァはセーター、エレベェタァはエレベーターって書いた方が手が楽じゃん、ってことだったのかな、という話です。
そして、最近単語の末尾の長音記号を略すようになったのはなんでなんだろう、これもたぶん理由があると思うので、調べます。
センサーとセンサ、メモリーとメモリなら、なんとなく専門用語感を出すためなのかなと思うけど、エレベータとかエスカレータとかになるとよくわからないので。
私は今も隣の国に住んでいますが、こちらでも昔は長音記号を使っていて、旧時代の遺物であるということである時期に廃されたのだということです。というか、自分とこの文字でないので使うのやめようってなったみたいな。

お茶高い。

カフェでぼんやりしていますと、時々日本語が聞こえてびっくりします。大学生くらいの若い子がテーブルの上にガイドブックとかパンフレットとかを並べて日本旅行の計画を立てているのです。日本の地名とか、挨拶の言葉とかが聞こえるのです。かわいい。
こちらの物価はここ数年でだいぶあがって、交通費以外では日本とあまり差を感じなくなりました(いや、それでも何割かは安い印象ですが、ひところみたいにものの値段が日本の半分くらいで量は日本の倍くらいみたいなすごい安い感じではなくなりました)。でも普通の人のお給料は上がらないので、普通の人はみんななんだか生活苦しいみたいな感じです。だから、どこの町もなんとなくすさんでいる感じです。昨年私が病を得ましたので空気のいいところに引っ越そうとして首都圏の市町村を見て回っているのですが、どこも駅前とか中心商店街が息してない感じです。
カフェのコーヒーは300〜500ccくらいで(でかいよね)400〜500円相当です。と思うと、そんなに物価高くないのかな、でも、私は小さいサイズでもう少し安くあってもらいたいので、ちょっと不便です。