持っていったり、返したり。

いつにも増してカオスな文です。感染しないようにお気をつけください。カオスな文に接するとカオスが感染しやすい方は、いっそうお気をつけください。一応注意です。読んだあとで怒らないでくださいね☆
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
TVアニメ「らき☆すた」OP主題歌 もってけ!セーラーふく 『もってけ!セーラーふく
らき☆すた』のOP主題歌の「もってけ!セーラーふく」って、CP曲が「かえして!ニーソックス」っていうんですよね。歌詞の内容はこっちの棚に置いといて、タイトルとかアニメの印象とかだけで妄想してみましょうか。妄想ですよ。
「もってけセーラーふく」ってことは、彼女ら少女が特に「セーラーふく」には執着を示してないってことを表してるんではないですかね。少女はいずれおとなになったら「セーラーふく」を脱いでしまうわけですし。あ、そう言えば歌詞にも「セーラーふく着替えても=あたし」ってあったかも。あ、歌詞は考えないんだった。ま、「セーラーふく」は特に少女のアイデンティティではないってことですね。少女は「セーラーふく」くらい脱ごうが手元から離そうが平気なんですよね、そんなことで「あたし」は揺るがないんですよ。少女が「セーラーふく」を手元から離すことで少女の少女たる何かが揺らぐ気がするのは、「セーラーふく」=「あたし」って思ってる人たちだけですね。偏見であることを承知の上で言い切っちゃうと、少女の売った「セーラーふく」を買うあるいはそれが自分たちの同類によって買われる対象として見ている人たち、ということで。ははっ「あたし」たちは「セーラーふく」ごときで自分が揺らいだりしないんだよ、説教しても無駄だよん。ていうかキミたちが買うから売るんだよ。あ、私はブルセラや売春を擁護したり推奨したりするものではありません。こんな感じかなーって。
二十〜三十年くらい前はこんなんじゃなかったですね。少女はまだあんまり自分たちで存在することを認められてなかった感じがします。おんなじ「セーラー服」をタイトルに冠した曲がありますね。「セーラー服を脱がさないで」っていう。これは「セーラー服」を脱がされちゃってセックスしちゃったらもう少女ではいられないからもう少し待ってね、みたいな。「もってけ!セーラーふく」は「セーラー服を脱がさないで」から一連の「ブルセラブーム」を経て少女は「セーラー服」に依らないアイデンティティを確立できたってことでいいんでしょうかね。
ところで「かえして!ニーソックス」ですけど、これはあれです、少女たる「あたし」のアイデンティティは「セーラーふく」を離れて「ニーソックス」にあると、そういうことですね。「セーラーふく」ごとき好きに持ってけばいいけど「ニーソックス」はダメだよってことで。あ、歌詞は考慮してませんよ、「かえして!ニーソックス」の歌詞は普通に体育のあと着替えの際に間違って持ってっちゃった誰か知らないけど返してよーってちょっと怒ってる感じだし(いや同じの売ってるから買い替えるけどさ、ちょっと悲しいよぅ、みたいな)。で、みんな同じの履いてるようでちょっと違うんだよ、ってだから悲しいんだよね。「セーラーふく」は「もってけ」って平気なのに「ニーソックス」は「ちょっとちがう」「かえして」ってこだわってる、そこが現代の娘さんで、もう「セーラーふく」より「ニーソックス」でアイデンティティを確立してるんですよ。みんな同じ制服で自分のアイデンティティを確立することは不可能なんですよね、だから制服以外の「アイテム」で自分のアイデンティティを確立するわけです。「せーらーふく」を脱いでも「ニーソックス」があれば「あたし」でいられるんですね。
 
あー、全然歌詞関係なくなかったですね☆ 歌詞はこちらで検索いたしました、ありがとうございました。
http://www2.kget.jp/
 
歌詞の話したからもうちょっとだけ。「もってけ!セーラーふく」には「ラッピングが制服」って歌詞があるんですけどね、これももう非常にわかりやすいですよね。「あたし」のアイデンティティは「制服」なんかでは決まらないんですよ、「あたし」は「あたし」で「制服」はただの「ラッピング」です。……あるいは、「制服」はブランド名がプリントされた「ラッピング」なのである種「制服」で価値が決まっちゃう、みたいな考え方もできますけど、私は贈り物は金額より心って考える方向で頑張ってますので、「制服」はただの「ラッピング」で、「あたし」のアイデンティティではない、って方向でひとつよろしくお願いしますよ。
とかいいつつ、「ラッピングが制服」だったら「不利ってこたない」ってわけで、「制服」着てる限り自分は有利っていう、強かさも持ってるんですよね。ま、これも「制服」は「あたし」自身ではなくて人目とか人手とかを動かすのに有利ってわかって利用してるってことで。
何とでも言えますよ、全解釈したくなる、そんな気分にさせる歌詞ですね、「もってけ!セーラーふく」。この曲の前にこういう気分になったので憶えてるのは、「さくらんぼ」ですかね、大塚愛の。
最近の曲にはストーリーや背景がないって私の倍くらい生きてる人たちにはよく言われますけど、ストーリーや背景がなくたって、言葉や構成を考えて丁寧に作れば価値はあると思うんですよね。だってさ、小説だけじゃなくて詩にだって価値を認めることはできるでしょう? どっちが高級とかいう話じゃなくてさ。詩にだってストーリーや背景のあるものもあれば言葉や構成など技巧に拘ってる作品もあるし、いろいろですよ、ね。