クラシックとモダン(バレエ)。

『二人はプリキュアSprashStar』開始記念で何か。あ、私、いろいろ言いたい放題言ってるようですが、『プリキュア』シリーズも『セーラームーン』シリーズも大好きですよ。大好きだから言いたいことがたくさんできちゃうんですよ。そういうことで。
今日も『セーラームーン』の名前を出したので、今日も『プリキュア』と『セーラームーン』の比較をしたいと思います。
セーラームーン』では、少女たちは変身する際、日常服を一瞬で脱ぎ捨て、空中をくるくる回りながら浮遊し(キャラクターによっては飛翔し)、コスチュームを身につけて地面に降り立ちます。彼女らがその身にまとうのは、セーラー服をモチーフにしたプリーツスカート付きレオタードと白くて長い手袋、そしてつま先の尖ってかかとの高いブーツか全くのハイヒールパンプスです。
プリキュア』では、少女たちが日常服を捨てるシーンは描かれません。一瞬にして衣装をプリキュアとしてのコスチュームに替えた少女たちは、勢いよく空中を飛翔し、力強く地面に着地します。彼女らが身につけるのは、フリルやレース、リボンなどによっていささかデコラティブなミニ丈のワンピース、指先の見えるアームウォーマーみたいなの(って呼んでいいのかわかんないけど)、レッグウォーマーみたいなの、つま先が丸くて底が厚めのブーツです。
ここで注目するのは、彼女らの着地、足元です。
セーラー戦士は着地の際、音もなく、空から舞い降りるように真っ直ぐ立ったまま、つま先から、降り立ちます。対してプリキュアは、爆発的な音響と土煙のような画面効果と共に、衝撃に耐えられるように腰を落とし膝を曲げて、足の裏全体を地に着けるように、着地します(要するに、人間が高いところから飛び降りるような着地ですね)。
必殺技を使う時にも、セーラー戦士は膝を真っ直ぐに伸ばして地面に立ち、ある者は空中に飛び上がったり浮かび上がったりして、技を繰り出します。対してプリキュアは、地面にしっかり足の裏全体を着け、膝を曲げて腰を落とし、渾身の力をもって(重たいものを打ち出すように)必殺技を繰り出します。
これらの印象として、次のようなことが言えはしないでしょうか。
セーラー戦士は、羽のように軽く、力を感じさせない美しさを持つものです(妖精的な魅力と言うと感じが分かるでしょうか、少し前なら女性らしい美しさと言われていたかも知れません)。空へ、天上へ向かう浮遊。
プリキュアの持つのは、重々しい力強さ(少し前なら雄々しさとか男性らしい力技ですかね)。大地との一体感です。
この二者の関係は、クラシックバレエとモダンバレエという二者の関係と、瓜二つです。
クラシックバレエでは、舞踊者は、チュチュ(羽みたいなスカートのたくさんついてるレオタードみたいな衣装)とトゥ・シューズを身につけ、つま先で立ち、浮遊を思わせるジャンプを繰り返し音もなく着地します。クラシックバレエでは、観客に力を感じさせてはいけません。小さくて軽いものが力も入れずに、重力からも自由に、空中に浮いているかのように見せなければならないのです。セーラー戦士の変身や技や着地は、クラシックバレエにそっくりです。
モダンバレエは、クラシックバレエの人工的な方向性を病的なものと見なして(人間は浮遊できないのだから、肉体を改造する勢いで訓練して酷使するなんて病的)、天上へではなく大地へと、向かう力を表現するジャンルです。モダンバレエでは、舞踊者は地に足をつけ、膝を曲げたり腰を落としたり、重力に逆らわず、力強く人間的な存在を表現します。繊細で優美で妖精的な存在を表現するクラシックバレエとは対極的です。プリキュアの変身や技や着地は、重力を大いに感じさせ、モダンバレエの動きを連想させます。
プリキュア』は、天に向かって浮遊していた『セーラームーン』の、単なるコピーではなくて、多少の修正を加えた、大地に足をつけて立つ存在として、生まれ、生き、戦ったのではないでしょうか。だから『プリキュア』の『セーラームーン』との差異を、コピーの劣化と捉えるのではなくて、批判で修正なのだと捉えることこそ、『プリキュア』に対して正当な評価をしていると言えるのではないでしょうか。
 
もちろん『セーラームーン』も『プリキュア』も、そんなこと考えながら作られたアニメでない、ということは百も承知しつつ、書いちゃいました。