ありがとう&愛してる、2。

ふたりはプリキュアMaxHeart』最終回。
 
「現代的変身美少女もの」アニメの最終回って、ラスボスとの戦いと日常に戻る美少女たちっていうのは、定型ですね。『ふたりはプリキュア』もそうで、これは「変身美少女もの」の中興の祖というか「現代的変身美少女もの」のルーツというかそういう存在の『美少女戦士セーラームーン』に先祖返りした(というか、劣化コピーだった)アニメだったので、なお一層その傾向が強いというか、ま、つまるところ『セーラームーン』の最終回をまるでなぞったような最終回だったんですが。
ただし、『プリキュア』と『セーラームーン』との違いというものもあって、『プリキュア』には『セーラームーン』に描かれていた「大切な人たち」との別れが描かれていません。
セーラームーン』の場合は、最終決戦後、うさぎたちの視点から見て、ちびうさは未来へ帰ってしまうし火球の王女とそのしもべの彼らは火球へ帰ってしまいます。また、はるか、みちる、せつな(つまりアダルト組の三人)とほたるは「住む世界が違う」的にちょっと距離ができます。さらにいうなら、プリンセスうさぎが孤独を理解して心がちょっと通じたというかうさぎが心を開いたかに見えたラスボス、セーラーギャラクシー(なんかセーラームーンたちとは格の違いを感じさせるお名前)も、仕方ないこととはいえ滅ぼされてしまいます。古い記憶なのでもし間違ってたら、気づいた時になおします。
プリキュア』は、もちろん「プリキュア」のふたり、なぎさとほのかが別れることはありません。仲良く卒業式に出席します。「クイーン」に同化することによって個としての形を失ってしまったはずのひかりも、卒業式後なぎさとほのかが立ち寄ったいつものタコカフェでお手伝いをしていて、再会します。もうふたりは「日常」に戻り、二度と変身することも戦うこともないし、「プリキュア」として活動することはないのですが、ふたりの変身や使命、つまり「プリキュア」としてのアイデンティティに深く関わると思われる小動物的存在、ミップルとメップルもその場に現れ、再会します。驚いたことにラスボス(の一部を形成していた)と思われる人物であるところの小さい男の子までが、ひかりの弟であるということにして現れ、再会するのです。多分この先仲良くやっていくことでしょう。
早朝で基本的に幼児か小学生しか見ないことになっている時間帯のアニメであるということから、さもありなんとは思えるんですが、ちょっとびっくりするくらいの大団円っぷりです。『セーラームーン』に顕著な、「普通の女の子」に戻る大団円から、さらに都合の悪いものを取り去った、究極の大団円ですね。半壊していた世界が翌日には何事もなかったように復活していることにも、小さい男の子やひかりが帰ってきたことにも、説明も何もなかったから、ちょっと尺が足りなかったのかも知れません。でも、まあ、いいでしょう。みんなが幸せなら、それで。
 
ところで、『セーラームーン』の最終回が、次のような締め方をされてたことを今思い出しました。
おとな組と高校生組それぞれの穏やかな月夜に談笑のシーンのあと、うさぎと衛の穏やかな月夜に談笑、それから、うさぎの独白調(ただし画面の外側で聞いている視聴者をちゃんと意識している自己紹介的な)の台詞。
「あたし、月野うさぎ。一七歳、高校二年生。性格は、ちょーっとおっちょこちょいで、泣き虫ってとこかな。でも、本当は、愛と正義の、セーラー服美少女戦士、セーラームーン。」(ここで、五年間二〇〇回変わらなかったオープニングテーマソングが劇的に流れます。)
セーラームーン』は、第一回の初めに
「あたし、月野うさぎ。一四歳、ちゅーに(中二)。性格は、ちょーっとおっちょこちょいで、泣き虫ってとこかな。」
といううさぎの独白調(ただし、画面の外側に対する自己紹介)の台詞があります。つまり、セーラームーンというか、うさぎは、元の生活に戻るような、戻らないような、最終的にセーラームーンとしてのアイデンティティを持っているので他の皆とも絆はそのまま、高校生組は学校も一緒だか近くだか、つまり別れないし、衛は彼氏だけど、これからも一緒みたいな、要するに、ほとんど何事もなかったかのような大団円なんじゃないかな、と、思った次第です。でも、ほとんど、というのがポイントで、うさぎは本質的にちょびっと変化してるし、人間関係もわずかにとはいえ変わってるし、そこんとこ、これから考えるところです。