水は高きより低きに流れる、の話。

小学校の高学年の時、社会の時間のことでした。その日は地理的なことについて習っていたと思います。担任の先生が、突然「ここでひとつ、クイズです」とおっしゃいました。いわく、「川はどちらからどちらに向かって流れるでしょうか」。正解は「上から下に」あるいは「高い方から低い方に」です。ところで、私の通っていたその小学校は、日本の京都府京都市にありました。お暇な方は簡単な地図をちょっとご覧になってくださいませ。京都市というのは、東西北を山に囲まれた、北が高く南が低い盆地です。京都市の真ん中ちょっと東よりに、南北にずどーんと川が流れております。鴨川という川です。鴨川は京都市内を通り抜けて南の端っこで、西から流れてきた桂川、東から来た宇治川、南から来た木津川と合流して淀川になり、大阪にむかって流れていきます。それで、京都市の南の方でないところに住んでいる人は、「川は北から南に流れる」と思っている節があります。その日、先生のクイズにも、「北から南に」と答えたクラスメイトがけっこういたように記憶しております。
話は変わりますが、水だけでなく言葉も高いところから低いところに流れていくと、私は大学生の時に習いました。つまり、言葉の格が下がっていく、千年前は丁重語だった言葉遣いが現代では普通の言葉になり、千年前は普通の言葉だったものが現代では罵倒語になっている、というようなお話です。
例をあげましょう。「食事をする」ことを、私たち庶民は普通の言葉として「ご飯を食べる」と申しますね。けっして「飯を食う」ではありません。しかし、千年前の私たち庶民は、「ご飯」なんて「食べ」たりしませんでした。「飯を食」っていたのです。「ご飯を食べ」ていたのは貴族のみなさんです。千年経って、貴族に適用される言葉が私たち庶民に適用されるようになったのです。私たち庶民の格が上がったわけではありません、言葉の格が下がったのです。貴族に使っていた言葉を、庶民に適用するようになる、これは格落ちですね。現代では、ちょっとお上品さを欠く言葉遣いとして「飯を食う」、普通の言葉遣いとして「ご飯を食べる」、丁寧な言葉遣いとして「ご飯をいただく」及び「御膳を召しあがる」という言葉を用います。「御膳を召しあがる」はちょっと耳に馴染みないかもしれません。同じような言葉を並べたくてちょっと無理をして数十年前の言葉を使いましたが、現代では「御膳を召しあがる」はあまり使いませんよね、一般的には「お食事をなさる」でしょうか。
また、ペットの犬に何か食べさせることを、私たち庶民は普通の言葉として「ご飯をあげる」と申します。しかし、ほんの数十年前まで、私たち庶民はペットの犬に何か食べさせることについて「餌をやる」と申しておりました。千年前からずっとです。これはペットの格が上がったのだとも感じられますが、言葉の格が下がっています。「あげる」というのは言ってみれば敬語のようなものです。「上げる」ですからね。ペットに敬語を使う必要はあまり感じないでしょう、たいていの人は。つまり、ペットの格が上がっているのではなく、言葉の格が下がっているのです。
人称代名詞の件はお考えになった方も多かろうと存じます。「お前」と「貴様」の件です。「お前」は「御前(おんまえ、あるいはごぜん)」です。「お前」も「貴様」も同格及び格下の相手を呼ぶ時に用いますね。特に「貴様」は現代では罵倒語に近い扱いを受けているかと思います。なんで同格や格下の相手に用いる呼称や罵倒語に、「御」とか「前」とか「貴」とか「様」とか相手を持ち上げる言葉(文字?)が使われているのでしょうか。それは、「お前」とか「貴様」とかが、昔は高貴なる相手に対して用いる呼称だったからです。
私は最近このブログで『枕草子』について何度かお話をいたしましたが、その『枕草子』には「お前」という呼称がたびたび出てきます。『枕草子』でいう「お前」とは、中宮定子さまのことです。中宮定子さまとは、『枕草子』を書いた清少納言の上司にして、天皇の正式の奥さんの中でも一番位やら格やらの高い奥さんです。つまり当時の日本で一番位やら格やらの高い女性です。「お前」とはそういう人物に対して用いる呼称だったわけです。それが千年後の現代では同格か格下の相手に用いる呼称なわけですから、たいへんな格の下がりようです。
他にも例にはこと欠かないと思いますが、つまり、時間が経てば言葉の格は下がっていく、言葉も水と同じように高いところから低いところへ流れていくのだ、というようなお話でした。