じこちゅの話。

悪態注意です。
 
 
 
 
 
 
 
 
「俺が俺が(人より一歩でも先んじて前へー!)」みたいな姿勢で生きている人のことを、「自己チュー(じこちゅー)」といいますね。正しくいうと「自己中心的な人物」ですね。形容詞を使うなら「厚かましい人」が近いでしょうか。
日本において男性を中心とした一般的には「おばちゃん」とか「大阪のおばちゃん」とかいう人物群がそれに当たるようですが、同じく日本において女性を中心とした一般的には「団塊ジジイ」とかいう人物群がそれに当たるようです。もちろん何らかの統計に基づく見解ではなく、いろんな人と喋っているとどうもそんな感じ、という、詰まるところ、主観です。まぁそういうふぇみ感強そうな話は今日はおいといて、自己中心的な人物についてです。
私思うにですね、こう「俺が俺が(人より先んじて一歩でも前へ)」という姿勢で生きている人物群は、自己チューとしてはまだまだなのではないでしょうか。
何も関係ないけど、首都のど真ん中に国防本部があるのは普通のことなんでしょうか。それの近所には全国各地へと延びる鉄道の起点になる駅が二つあります。つまり、昔の日本でいう東京駅と上野駅の間みたいな? 近くにいろんなもの置いとくと何かと便利なのは確かだけど、攻めたり滅ぼしたりする方にも便利だと思うんだ。まぁ大丈夫だとは思うんだけど、この国は治水を始めあんまもの考えてなさ気な場面にたびたび遭遇するからさ、じゃっかん心配なわけです。ほら私いちおう住んでるし。
「俺が人より前に出るのだ」という了見は、少なくとも他人を意識しているじゃないですか。彼らはまだ真の自己チューじゃないのです。真の自己チューは、他人なんか見えてません。「誰かより前に出る」のではなく、ただ前に出るのです。「誰よりも先に電車に乗り、人に取られる前に席を占めるのだ」、こういう人はまだまだです。本物は、電車に乗って座る、ただそれだけです。だから、降りる人を掻き分けて我先に乗り込むんじゃありません。ただ乗るんですが何か人に当たるんです。でも座ります。「老人や妊婦を立たせても俺が座る」のではありません、そんなのは偽物です。本物はただ座るのみです。迷惑ヤロウ滅びれマジ滅びれ。
ところで今日の文では迷惑ヤロウのことを「自己チュー」と統一して書きましたが、いろんな表記があるようで、このケータイは「自己チュー、ジコチュー、じこちゅー、ジコ虫、自己中、じこちゅう」などが辞書に入っておりました。「ジコ虫」はCMですね。厚かましいあるいは横着な公衆マナーの持ち主は若い人物群に限られてるとでもいいたげだったあのCMですね。学生の背負ってる鞄もお姉さんやおばさんが腕に引っ掛けてる鞄もおじさんが肩からさげてる鞄も、持たざる者にとってはひとしなみに邪魔なんですが、あたかも学生の鞄だけが邪魔みたいな扱いのCM。あと席譲らないなんて老若男女問わないのに、いかにも学生は席を譲らねぇといいたげなつくりのCM。思い出したらイラッとしてきたので今日はこの辺で。嫌いのあまり記憶が書き換えられて事実と違う話になってしまっていたらすみません。
あとなんにも関係ないけど、同僚が市場好きなんですよ。二十代後半くらいの女子なんですが、なんか今時の若い子って感じで、いい子だし可愛いけどずっと喋ってるとこっちが疲れる感じね。この子が、アジアとかの市場が好きとか言うわけですよ。もちろんこの辺にあるのも。
ここいらにあるのは、昔の日本の市場(私は地元の公設市場しか知らないですが、まぁ日本中にあったですよね?)から清潔さをちょっと減らした感じの市場です。私の古い記憶では二十年前にはもう滅びかけてたか滅びてたが、そんなくらい古い感じ。今も残っている地域があったらすみません。そういう市場の、生命や生活のエネルギーが満ち溢れた様子が大好き(はぁと)って感じなんですね。
私は、廃墟が好きです。生命や生活のエネルギーが薄れていって無くなる頃とか、無くなった感とかが落ち着きます。正反対なのであった。だって人混み疲れるやん? 生きる力に溢れた人は、人混みやら他人の生命や生活のエナジーなんかに負けないんだろうなと思うと羨ましいです。