おおかみこどもの雨と雪見てきたよ。

ネタバレ注意です。
あと、生理の話注意です。
 
 
 
 
 
 
 
 
野生児でおおかみらしい子どもだった女の子の雪が人間として生きることを決め、あまり耳を出したり活発に外に出たりしなかった雨がおおかみとして生きることを決める、という結末は印象的でしたが、決して意外ではありませんでした。雪は野性的だったから家の外に向かい、その「外」というのが学校という人間社会だったので、そこに溶け込もうとした結果人間になる事になった、ということでしょうかね。一方ちょっと内向的だった雨は思慮深いか感性豊かなのか、人間社会じゃなくて孤高に生きる山を選ぶわけですね、いきなり山に入るのは無理だから、その前に師匠がいたわけですね。
雨の選択について、おおかみ人間特有の悩みであるとは思わなかったです。つまり、誰にでも何についても向き不向きというものがあって、それについては人間もおおかみも変わりないし、親の苦労や苦悩もいろいろだけど同じなんだねってことです。ただ、人間社会に馴染めなかった/馴染まなかった雨が他の道(山に入ること)を選択できたのに対して、おおかみじゃない人間の子どもは馴染めなかったら大抵人生詰むわけで、雨は半分おおかみでよかったね。
雪についてはもう少し複雑なことを考えました。問題が複雑なのかはわかりませんが。人間社会に馴染む努力をしていき、人間でいう思春期に差し掛かったところで、彼女は人間の身体の変化について考えなければならなかったでしょう。映画ではさくっと飛ばされた四年生五年生六年生辺りの話です。つまり、身体が柔らかくなって生理が始まるってことですが、雪は半分は人間だし、生理あってもおかしくないよねって思ってこの考えに至りました。身体が柔らかくなって力の強さで弟に負けて、そのくらいから生理始まるんじゃないかと思ったら、雪が山で生きるのは不可能だなって思いました。だって、毎月身体が不調になったら狩りが出来ない日があるってことだし、血の匂いがしたらむしろ自分が狩られちゃいます。そうじゃないなら、生理がないなら、彼女が山へ入る選択肢もあったかもしれないですけど、無理に見えました。弟に自分たちは人間だと強く主張したのはそんな感じで身体が人間だって意識したからかも知れないし、自分たちはおおかみだって強く主張する弟にブチギレたのも無責任に主張しやがってって思ったからかも知れないです。もちろん、下種の勘繰りです。しかし思春期の女の子を見ると考えずにはいられません。
もう一点。
おおかみ人間の成人(?)についてです。おおかみは十歳で立派なおとなだってはなちゃんが言ってましたが、じゃあ雨はもうおとなとして山に行ったのですよね。じゃあこれはちゃんとした自立で、はなちゃんにとっては早すぎたけどしょうがないよね。でも人間としては十歳は立派な子どもですよね。だから、人間の平均寿命まであと六十年ちょっとくらい、 これは山に住む動物としては結構長命な方なんじゃないですか。だから、もしかしたら、滅びる前のおおかみ人間というのは結構山やら森やらの主だったのかも知れないなと思いました。
映像は、スチール写真ほどはジブリみたいじゃなかったです。特に人物は。でも、山野や田畑、民家などはとなりのトトロの世界みたいでしたし、深山はもののけ姫の世界でした。やっぱりそういうものなんですね。作り手じゃなくて見ている私の知識や感性がそのように見るのだということです。