伝説の読める空気を探しに。

実際に私のことをご存知の方がまだこちらを見てくださっていたら、その方々にはお分かりいただけるかと思うのですが、私は空気の読めない可哀想な子です。いい大人が可哀想な子も何もないかと思いますが、実際空気の読めない可哀想な子なので仕方ありません。常に、伝説の読める空気を探して旅の空の下さまよう毎日です。
今私は先生などをしてたくさんの学生諸君と日々接しておりますが、やはり空気の読める子と読めない子がいるのですよね、いずこも同じです。というか、集団と接していてわかってくるのが、空気の読める集団と読めない集団がいる、ということで、入学したての子たちはまだあまり空気読めない集団です。学年が上がると、だんだん空気読める集団になっていきます。学校ってそういうものですね。その場とかその人とか、つまりその教室とかその先生とかにどういう雰囲気をどういう態度を求められているのか、慣れるにしたがってわかっていく、ということですね。学校ってそういうところだと思います。真面目な優等生だけが必要とされているわけではなくて、ちゃらっとしたキャラクタを必要とする先生や教室や場面もある、ということをみんなわかって、なんとなく役割分担していくんだよということです。で、何年経ってもそういう空気が読めなくて、自分の立ち位置を掴みかねている子が、空気の読めない可哀想な子になってしまうのです。それが私、みたいな。いつも空気読めないっぷりを発揮して、ご迷惑をおかけするみなさんほんとにすみません。
何の話かっていって特に意味はないんですが、今日授業の感想を書いてねでも私が悲しくなるような内容の場合はオブラートに包んでねって言ったら、だいたいの子が私が気分よくなるような内容を書いてくれたので、あぁそういえば教室ってこうやって先生の気分を害さない感想文とか書くところだったなって思い出した次第です、っていう話です。学生としても不良でしたが(ヤンキーではない、ただの不良)、先生としてもちょっと不良なので、頑張ろうと思った次第です。