植物は花以外もエロい。

分かってたことではあるんですけど。
桜が散って、葉が出始めました。桜の葉は、枝の先からも出ますが、たまに幹からも出ます(花もたまに幹から出ます)。まだ薄い黄緑色の葉が、育ちきっていない小さい柔らかい葉が、枝の先とか唐突に幹からにょきにょき出ているのは、なんかもう生命ですーって主張されている気分がして、非常にエロス。若い、生きている、今育ってる最中、見てーっ、みたいな。
雨上がりで水滴がついてるのも「水を含んだ」「露が滴る」とかいうテンプレが浮かんできていいですが、これでもかくらいの晴れできらきらしているのも「陽に透けた」「明るい春の陽を浴びた」などのテンプレが浮かんできていいですね。これらのテンプレは、ネット上で小説を読んでいるとしばしばお目にかかります。主に少年がどれほど可愛いかとか性的に魅力があるかを現す際に用いられることが多いようです(もちろん用途はそれとは限られていませんが)。
ここで、一日前に書いた「植物がエロい件」を思い返してみました。ふたつの文章を並べてみると、私は、花を少女に、若葉を少年に喩えてこれらの文章を書いているということがよーく分かります。自分でちょっと嫌です。だって私は普段少年が花でもいいじゃんみたいな発言したり実作したりしてるわけですし、若葉のような少女が活躍する小説やマンガを好んで読んだりしてるわけですし。でも、自分が心に浮かんだことを素直に書いた(一応姿勢としてはそんな感じの)この文章でナチュラルに出てきた比喩は花が少女で若葉が少年。世間の旧弊な価値観にどれだけ染まっているかが分かって、ちょっとげんなりします。いや、少女が花で少年が若葉という価値観が旧弊だと言い切ること自体が旧弊な態度ではありますが。
 
ところで、「少女は花」とかいう話をしていますが、うちの可愛いパソコンは「花」を「鼻」と、高確率で変換します。しばらく花の話ばかりしているというのに。「少女は鼻」では意味不明です。字面としては面白いですけど。
「少女は鼻」という記述は、夏目漱石の『吾輩は猫である』を彷彿とさせます。『猫』には鼻の特徴的な婦人がひとり登場して、駄弁ってるやつらだか猫だかのどちらかに「鼻子」とかいう迷惑なあだ名をたてまつられます。幼少の私は馬鹿笑いをしたものです。彼女は非常に立派な鼻を持つとか、そんな風貌だったような気がしますが、私のおぼろげな記憶によれば、あんまり容姿の可愛くない人物だったような気がするので、鼻子でもきっと問題ないんでしょう。でも可哀想です。いや、馬鹿笑いはしたんですが。でも『猫』で一番馬鹿笑いしたのは、駄弁ってるやつらのうちの誰かが(誰だったか忘れちゃったんですが、あいにく手元には『猫』がないのです)干し柿の話をするくだりです。いや、本題は干し柿じゃなくて、バイオリンを弾くんだかバイオリンが聞こえるんだかその誰かが恋愛をしたんだか婚約をするんだかなんだか忘れましたが、その本題に入らないまま延々と、西日の中で昼寝をしては起きて干し柿を食っている話が続く、というひと言で表しては何が楽しいんだかさっぱりなシーンです。これが楽しいのは、多分私が落語を好きだからですね。落語の中には時々、本題に入らないまま本題とは何の関係もない話を延々とするシーンというのがありまして、たまに「その話は今どうでもいいだろう」という至極まっとうなツッコミが入りますが、喋っている本人は関係ない話をしているつもりはないので「ここから話さないと本題に入れない」というような返しをする、というような流れが多分型として存在します。テンプレ? で、くだんの干し柿のシーンは、この型に当て嵌まるので、私は違和感も抵抗もなく楽しかったんですよ。漱石は落語の台本を書いていたとかいう噂を聞いた記憶があるので、哲学だけじゃなくて滑稽の方にもそれなりの力の入ってそうな『猫』には落語の型が反映されてるんでしょうかね、と。落語だって笑わせる噺ばかりじゃないですし(上方でいう「立ち切れ線香」とかは悲しい一方の噺ですし)、落語と関係ない人の書いた小説だって落語の型的な書かれ方してる場合がありますから、一概に関係があるとかないとか言えないことは当然わかってますが。
さらにところで、最近の私は「鼻」といえば島崎慎吾です。島崎慎吾というのは「おおきく振りかぶって」というマンガ作品の登場人物のひとりで、原作では髪が黄色いとか野球が上手いとか異常にかっこいいとかはさておき鼻の描写が特徴的とされる人物ですが、アニメでは髪が黄色くて非常に野球の上手いただのかっこいい敵キャラになっているので、少し残念です。彼はいわゆる腐女子向け二次創作作品の中でもギャグ色の強い作品群においてしばしば鼻を引き合いに出されてネタにされます。楽しくて仕方ないです。が、腐女子向け二次創作サイトはオンラインブックマークや直リンク禁止したりお断りしたりしてる方々の運営されてるところが多いので、つまり腐女子以外の、探してまで見ようかという人以外の閲覧を望まないんだろうなと推測される態度での運営でしょうと思われる場合が多いので、ここに例を出すのがはばかられます。非常に残念です。が、このブログを読んでくださっている方々のうち、私が把握している数人の方には、「おお振り」需要が皆無であるということが初めからわかっているので、特にリンクとか貼らなくてもなんの問題もありませんね。私としては、身の周りの全ての人たちに「おお振り」を薦めたい、それも力いっぱい薦めたいところですが、野球マンガとか青年誌に載るマンガとか絵が特徴的なマンガとかは、人によって受容が違うので、大好きな作品って薦めにくいんですよね。分かりますかね、この気分が。でも「おお振り」面白いですよ。
 
……葉っぱの話で始まって、なんで「おお振り」の宣伝で終わるのか。しかも葉っぱの話部分、短。