エビちゃんを評価する女の子。

蛯原友里さんてモデルさんについて、先日電車の中で女の子が喋ってたんですよ。三人の女の子で、多分二十歳くらいで、つまり、蛯原さんがモデルとして活躍している雑誌『CanCam』の主な購買層のうちに入るとおぼしき女の子たちでした。実際に買っているかどうかは知りませんが。
一人は「エビちゃんってかわいいよね」、もう一人は「えー、エビちゃんってきれい系じゃない?」、残る一人は「私はエビちゃんちょっと苦手」。
エビちゃんかわいい」って言ってたのは、エビちゃんみたいな顔立ちとかメイクとか笑い方とかファッションとかの細くて可愛い女の子でした。「エビちゃんはきれい系」って言ってたのは、エビちゃんとは違うタイプの顔立ちとかメイクとか表情とかの細くて可愛い女の子でした。「エビちゃんが苦手」って言ってたのは、その二人のどちらとも違うタイプの髪型とか顔立ちとかファッションとかのノーメイク(多分)のあまり細くなくて私は結構可愛いと思うけど女の子の集団にいるところをちょっと外から観察しているクラスメイトの男子からはあんまり可愛くないと言われるタイプの女の子でした。
つまり、多分、最初の二人は自分たちのことを「かわいい」と思っていて、かつ「エビちゃん」のことも評価してるんですよね。一人目は「エビちゃん」を自分と同じ「かわいい」の棚というかカテゴリに入れて、かついい評価を下しているのです。二人目は「エビちゃん」を自分とは違うタイプつまり「きれい」の棚に入れて、かついい評価を下している、というのでどうでしょう。
もしかしたら二人目は自分と「エビちゃん」を同じ棚に分類して、かついい評価を下している、という見方もできるかも知れません。でも私はあえて、二人目が「エビちゃん」を自分と違う棚に入れていると思いたいのです。なぜなら、二人目は、若い女の子だからです。現代の若い女の子で、自分のことを「きれい」の棚に入れる人はまずいません。どれだけ自分を高く評価する子も、あるいは低く評価する子も、自意識過剰な子も、天然を装う子も、ほとんどどんなタイプの女の子も、自分を「かわいい」の棚に入れます。ええ、もうほとんど例外なく。そして、評価する対象をさして「かわいい」と思わなくてもほめることができるように、「きれい」の棚を開けておくのです。と、いうわけで、先述の二人目は、自分を「かわいい」、「エビちゃん」を「きれい」の棚に入れているのです。
少数の例外は、身の程を知っているかいじめられ続けているかして自分を「かわいい」の棚に入れられなくなった女の子です。それらの子は自分をどういう棚に分類するかというと、「かわいくない」の棚に入れるのです。二種類のいい評価を受ける友だちを持ったそれほど可愛くない女の子は、自分を入れる棚がもうないのですよ。
でも、そういった女の子だって、女の子であるからには自分を「かわいい」の棚に入れたいでしょう。だから、「かわいい」の棚に自動的に入っちゃうような容姿の女の子を「かわいい」の棚から除外しようとするのです。
さて、先刻の三人目の女の子ですが、彼女は「エビちゃん」を「かわいい」とも「きれい」とも評価しません。だからといって「かわいくない」「きれいじゃない」「みにくい」「不細工だ」などの棚にも入れません。じゃあ、どうするか。評価の軸自体を無効にするのです。というか、評価するという行為から逃避するのですよ。三人目の彼女は「エビちゃん」を「苦手だ」と別の次元にある評価をすることで、「かわいい」だの「きれい」だのといった自分を傷つけるかも知れない話題から逃亡を図っている、ということです。
 
妄想? ええ、そうですとも。
でもさ、タイプの違う可愛い子二人がどちらも「エビちゃん」を好きで、可愛くない子が嫌いで、その後二人は「エビちゃん」についてでかい声で褒め称えてて、可愛くない子は黙ってぼんやりとその話を聞いている、なんて図を見てご覧なさいよ。そんな妄想もしたくなりますって。十分くらいのことだったんですけどね。