第六回、続き。姉妹システムの話。

「姉妹システム」の話を丁寧にやろうと思ってたんですが、途中で面倒になっちゃったから「姉妹」のようなものの話を簡単にざっと流しちゃうことにします。流すったって私が流すんですから長いですけど。
始めの前に、「姉妹」のようなものは明治の終わりくらいから大正期にかけて既にあり、しかも結構深刻な関係が多く、心中事件などが起こったりもしていて、それらは「堕落女学生」とともに問題視されていました。
この時代には主に実際の女学生が、問題になったり取り沙汰されたりしていました(つまり三次元で流行していた、ということですかね)。
そして始めに、「姉妹」のようなものは大正期に一大流行期を迎え、大正期の姿が一番分かるのは吉屋信子の『花物語』という小説で、大正期には別にルールとかなくて、特殊に仲のいいお友だち同士を指して「姉妹」のような名前で呼ぶ、というものでした。この時代には、女学校が爆発的に増えていて(大正期の終わり、女学校の数は大正期の始めの三倍)、三次元でも「姉妹」のようなものは流行していたようですが、ひとつ前の時代よりは深刻度が低くというか薄くなっています(多分)。
この時代に特徴的なのは、爆発的に増えた女学生をターゲットにした雑誌(いわゆる「少女雑誌」)に載る「少女小説」なる読み物の中に「姉妹」のようなものが多数登場することです。もっとも「姉妹」のようなものを多く登場させたのは先に挙げました『花物語』でした。「少女小説」に登場する「姉妹」のようなものは、先輩後輩や同級生同士、先生と生徒、幼なじみや師匠と弟子とかむしろリアル姉妹とか、いろっいろな種類の人間関係が出てきます。呼び名も様々で、「姉妹のような」とか「特別に仲のよいお友だち」とかいろいろです。中でも有名なのは「エス」という呼び名で、これは「Sister(シスター:姉妹)」の頭文字から来ているようです。ここに、『マリア様がみてる』世界の直系の先祖を見出した気になるのは、私だけではないでしょう。英語っぽい呼び名は他にもあって「ゲブ」などは濁音で語感としては綺麗感が少ないですが「Give(ギブ:与える)」を語源としているようなので、意味としては大変美しいですね。他にもあったけど、忘れました。
次に、昭和初期、女学校も女学生も世間に馴染んだ頃の話です。「姉妹」のようなものは、細分化したルールを持つに至ります。二次元でも、三次元でも。いわく、「姉」はふたり以上作ってはならないし「妹」をふたり以上持ってはならないとか、別れる時には相応の儀式みたいなことをしないとならないとか、ルールを破ると私刑だとか。これは木々高太郎の探偵小説『わが女学生時代の罪』に詳しいです。もちろん「少女小説」においてもルールの説明はなされます。川端康成『乙女の港』では、上級生が「お姉さま」と呼ばれ、主人公である下級生を教え導く役割を担いますし、主人公は「お姉さま」に学校生活のルールを教わったり学外で仲良くしたり一生仲良しのお友だちでいることを誓い合ったりします。『乙女の港』では、ふたりの上級生と親密にする主人公に、それをルール違反だと教える同級生がいますし、既に特定の上級生と「姉妹」のようなものになっている主人公に近づく別の上級生が若干の意地悪をされたりします。こういう図を見て、また『マリア様がみてる』の直系の先祖を見つけたと興奮するのは、多分私だけではないでしょう。
戦時中は「姉妹」のようなものは少し影を薄くします。そんなちゃらちゃら遊んでないで農作業にでも従事してさっさと嫁にいけそしてとっとと子供を産め女同士でつるむなんてとんでもなく不経済だとかいう感じで、ボランティアだとか産めよ増やせよだとか美しい言葉(大して美しくもないか)を並べてもこんなもんです。この時代は「姉妹」のようなものというよりは全体に学年でまとまり学校でまとまり果ては疎開して離ればなれとか、調べれば色々出てくるのかも知れませんが近づきたくないので後回しです。
戦後は戦後で美しくない時代が続き、国力をというか生産力を上げるために「少女」にはやはりさっさと結婚して子供を産まなければならなかったので、「姉妹」のようなものの記録はあんまり残ってなさそうですが調べれば(ry この時代は文明や文化の復興期で、「少女マンガ」が生まれて爆発的に増えた時代ですが、「母娘もの」で生き別れの母娘がどうにかなるとか「学園もの」で男女が恋愛を始めそうになるとか、「バレエもの」で努力と根性と悪運の「少女」が並み居るライバルを押しのけて成功するとか、あ、「バレエマンガ」といえば「トゥシューズに画鋲」ですが、これにより「女の敵は女」が女性に内面化される契機があったのかも知れません。だって大正から昭和の初期までは「少女」というものはみんないい子で最初から最後まで涙のうちに進行して大団円とかそんな小説ばっかりだもん。いや、濡れ衣のような気もしますが。でもこの「バレエマンガ」は主人公とライバルが仲良く競う図が百合っぽいので、「姉妹」のようなものの変形なのかも知れません。
もはや戦後も遠くなりぬ昭和後期、世の中は最悪の学園紛争時代よりちょっと後です。「姉妹」のようなものは現代から見ている私の目からは確認できません(いや、丁寧に調べれば出てくることは分かっているんですが)。が、ずっと先に述べました『花物語』が、何故かこの辺りで復活します。氷室冴子クララ白書』には、本文中に『花物語』への言及があり、現代では「この『クララ白書』こそが『花物語』と『マリア様がみてる』をつなぐ作品だ!」とか言われているのをよく見ます。が、私は『クララ白書』より川原泉笑う大天使(ミカエル)』を推したいのです。だんだん疲れてきました。
笑う大天使』には、「姉妹」こそ出てきませんが、「聖ミカエル学園」は「私立リリアン女学園」と同じような歴史を持つ学校です。登場人物たちも、上級生三人に特殊に可愛がられる女生徒がそれらの上級生を「お姉さま方」と呼んでとくに仲良くしていますし、ある下級生に特に慕われる人物はまたその下級生に特に親しくします。また、主人公はある同級生に非常に懐かれ、人当たりのそれほどよい性格でないにもかかわらず特に仲良くしようと心がけます。これらはみな『花物語』的人間関係です。ただし『笑う大天使』は、『花物語』的世界観を若干ひねって描かれています。『花物語』的な学園に馴染めない三人が主人公たちで、読者を没入させないように注意を払って描かれているように見えます。でも描かれているのは『花物語』的世界。
(二時間中断。)何の話してたっけ。あ、「姉妹」のようなものの話だ。
要するに昔あった素敵世界をひねったマンガが登場した後にもう一回ひねって素敵世界に戻した小説が『マリア様がみてる』で、そこに登場する素敵世界を構成する重要な要素のひとつが「姉妹」的人間関係だってことが言いたかったんです。あと、最初は女の子たちが好きなように仲良くしてただけだったのが時代を経たりいろいろすることでルールができたりそれが細分化したりして「システム」っぽくなったってことが言いたかったんです。多分。