『マリア様がみてる』に注釈をつけようの会、第六回。

マリア様がみてる 1 (コバルト文庫) 今野緒雪マリア様がみてる』(集英社コバルト文庫、一九九八年五月初版発行、使ったのは二〇〇三年一月の第一〇刷)。
 
引用:そもそもリリアン女学園高等部に存在する姉妹(スール)というシステム(一六頁、二行目)
 
ここでいう「姉妹(スール)」とは、①実際の血縁関係とは関係なく、②学校生活の中で、③上級生と下級生が、④個人的に非常に密接な関係を築く、というものです。「姉妹(スール)というシステム」というからにはそれがシステム化されている、つまりこっそりと地下でではなく堂々と、系統だって、学校全体の機能として、存在している、ということでしょうか。ただし、学校全体に存在するわけではないことはこのあとすぐに判明しますから、一般にいう「システム」とか辞書に載っている「システム」とは少し違う意味合いなのでしょう。推測しますに、機能的なものと学校が(おとなが)認知していて、その機能が活用されていて、生徒が疑問を抱かない、というようなことかと思います。また、活用するのに便利なように、問題が起こりにくいように、細かなルールも存在しますが、明文化はされていません。「暗黙の了解」というやつです。実際に生活する上での「暗黙の了解」は、何もかもを阻害する方向で力を発揮しがちですが、創作上のしかも女の子の世界でその上これもしばらくすると判明しますが「暗黙の了解」の受け入れられやすい土壌が描かれているこの作品の場合、「暗黙の了解」的ルールは素敵世界を構築するのに非常に有効にはたらいています。多分。今おとなのやること(注釈つけ)なんてやっておきながらおとなのやることなんて愚の骨頂という気分でいっぱいになってきたので、こんな「システム」という言葉の解釈みたいなことはあちらの棚に置いておいて、次へ進みましょう。どうでもいいんです、素敵な世界観の前にはくだらない現世の約束なんて(おちつけ)。
そもそも、「姉妹」は、地下でこっそり、とまではいきませんが学校も全面的に認めたり支援したりして堂々と、なんていうものではなかった、と、私は思っています。その証拠というわけではないですが、簡単に、地下的「姉妹」の例をあげましょう。
 
花物語〈上〉 乙女の港 (1985年) (淳一文庫〈2〉) 笑う大天使(ミカエル) (第1巻) (白泉社文庫) 屋根裏の二処女 (吉屋信子乙女小説コレクション)
左から、吉屋信子花物語』上巻、川端康成『乙女の港』、川原泉笑う大天使(ミカエル)』。って、画像がないと伝わらない上に淋しいわ。仕方ないから気分だけでもってことで、吉屋信子『屋根裏の二処女』。
とりあえず今日はここまで、また明日です。