いやな気分になれる映画。

ドッグヴィル スタンダード・エディション [DVD]
映画。『ドッグヴィル』(監督:ラース・フォン・トリアー、主演:ニコール・キッドマン
梗概:ロッキー山脈の麓にある寒村(廃坑になった炭坑あとの典型的な「貧乏な田舎の村」)にある日ギャングに追われた若い美人の女性(名前はグレース)がやってくる。二週間以内に村人全員が気に入るという課題をクリアしたグレースは村にかくまわれることになる。村から追い出されない為に皆に好かれようとするグレース。蜜月はあっという間に終わり、警察の手配書が村の教会に貼られるとびびった村人はグレースの待遇をびっくりするほど低くする。グレースが逆らえない心理状況であるのをいいことに好き勝手に扱う村人。過剰な労働と労働力の搾取と、差別的待遇というより虐待と、男性によるセクハラと輪姦と、そのセクハラと輪姦について女性によるほとんど不当な糾弾と、口ばっかりで八方美人な彼氏。首には一度村からの脱出を図ったために逃亡防止用の首輪がつけられている。過酷な扱いを、多分キリスト教的な(宗教には詳しくないから今ひとつ分かっていない私)思考とか思想とか姿勢とかによってほとんど苦痛に感じていないグレースを村人はついにギャングに売り渡す。
 
さて、ここから先の文章はもしかしたら重要なネタバレを含んでいる可能性がありますから、映画をまだ観ていなくてこれから観る予定の方は読まない方がいいかも知れません。
上の梗概は、映画のストーリー全体ではありません。村人からの連絡を受けたギャングが、グレースを回収しに八台の自動車で現れます。簡単には動かない車輪の重しと耳障りに割れた音を出す鈴を取り付けた鉄製の首輪を嵌められて、しかもこの二日間監禁されていたグレースを、ギャングは解放し保護します。ギャングのボスはグレースの父で、父を傲慢だと罵って飛び出したグレースの傲慢を諭します。論争の末なんだか悟りを開いたグレースは、ドッグヴィルの人々のようなものは放っておいてはそいつら自身のためにもならないと覚悟し決心し、ドッグヴィルを皆殺しにして焼き払うよう、命じます。愛の名のもとにグレースの搾取を正当化していた(かも知れない)彼氏はグレース自身の手で決着がつけられます。犬は許されます。
この映画、序盤では非常に友好的な村人とグレースの関係が、中盤では晴が曇になるように悪化して、終盤ではもうグレースが奴隷のごとくなり、ラストでカタルシスが訪れる、というものだと思うんですが。中盤で観客たる私は、終局の予想を立てました。たいていの人はたいていの作品を読んだり観たりする時にやるように思いますが私だけかしら。このたびの予想は二種類で、グレースは奴隷として搾取されたあげくぼろ雑巾のように死んでしまうという現実的なラストが待ち受けているのか、それともギャングのボスはグレースの父親か何かでグレースを酷い目に遭わせたやつらは同じ目に遭わされて殺されてくれるすっきりしたラストになるのか、と。最後まで観ると後者の予想が当たっていたことがはっきりするわけですが。この、わたし的にすっきりするラストは、人によっては面白くなかったりするみたいです。多分、非現実的だからでしょう。もっと酷い目に遭わせていびり殺して村人は何も変わらず日常に戻っていくけどグレースが薄給で請け負っていた重要でないけどめんどくさい仕事を自分たちでやることになってうざいなあまた誰か迷い込んでこないかなあ、みたいなラストの方がいい、ということなんでしょうか。私としてはそんなリアリティならない方がいいと思ってるので、すっきりして終わる方がいいです。
この映画は他にもいろいろ話すべき点があります。例えば、セットがないしロケもない、という点です。薄暗い体育館に村の地図があって、道には道の名前が、家には誰の家という名前が、書かれているというだけなのです。壁のあるところには線が引かれていて、壁があることになっています。ドアはないけど役者はパントマイムでドアを開けて行き来します。どれほど緊迫した場面でも、落ち着き払ってドアを開けるパントマイムをしているように見えるのです。簡単な家具は置いてありますが、必要最低限。道路に警察が車を止めて行方不明の女を捜している村人たちがここにはそんな女は来ていないと誤魔化している、その背後である村人がグレースに警察が来ている俺が喋ればおまえは連行されると脅しながらグレースを強姦する、オープンな空間で行われているのに壁があるという設定だから誰もそれを見ていないことになっている、という具合です。実験的だそうで、舞台の演劇的です。これにもいろんな感想が述べられていて、見えるものを見えるように見る方は「なんか変」と言いますし、登場人物と役者を同じものだと思う方は「緊迫した場面なのに登場人物がみんな見ないふりしていておかしい」と言います。私は始めから無抵抗で無批判に「そういうものだ」と思って見始めてしまったので、変とは思わなかったのですが、警察がこの女を見なかったかと言っている後ろでその女が犯されていて男のだらけた尻がひょこひょこ動いているという図は面白かったです。
他には、この映画はトリアー監督がアメリカを見ずにアメリカを撮れるのかと売られた喧嘩を買って撮ったとか、三部作の一作目で続きがあるとか、この村(ドッグヴィル)がアメリカの縮図だとか、グレースが父親との対話で権力者として完成する図がどうだとか、いろいろありますが、今回はスルーです。グレースに対する老若男女問わない性的虐待については、問題視したいところではありますが、今自分の頭が超絶悪いので、これもスルーです。いずれ少し回復したら書くかも知れません。それに何と言ってもグレース(ニコール・キッドマン)の衣装が、襟の付いて前がボタンで開くちょっと襟ぐりの大きいでも下品じゃない薄紅色のブラウスとスカート(もしかしたらワンピース)とか、その上にカーディガンをはおるとか襟にスカーフを巻いて入れるとか、がすごくいいですが、ニコール・キッドマンはこの時代のおとなしい服が異様に似合いますが、これは語り出すと止まらないので、やめましょう。