CMの話。

ソフトバンクケータイ「ゴールドプラン」のCM

ごきげんよう」「ごきげんよう
「じゃ、試合の件、電話するね、九時までに」
「うん、私も電話するね。九時までに」
「キミちゃんにも電話するね」
「あ、いいよ。私にかけるとお金かかるし」
「そっか、キミちゃんソフトバンクじゃないんだ」
「……ご、めん」
「いいよいいよ」
「キミちゃんが悪いんじゃないんだし」
画面が暗くなって〈友だちは大切に〉のキャッチが入る。

 
このCMが「いじめ」を助長すると話題になってはや数週間。助長するまではいかないんじゃない?と反発を覚えたんですが、このCM最近見なくなりました。「いじめ」の契機を描いていることは間違いないですが、助長しますかね。私が抱いた感想は、①押しつけがましい、②「いじめ」の肯定に見えて怖い、③「ごきげんよう」の使い方が間違っている、の三点でした。
①押しつけがましい
ゴールドプラン」に入っていると友だちが去らない、「友だちを大切に」するなら「ゴールドプラン」といった押しつけがましさです。いやな感じ。「友だちを大切に」したいなら「ゴールドプラン」に入りなさいよ、いやな感じです。
②「いじめ」の肯定に見える
ゴールドプラン」に入ることで「友だちを大切に」する、つまり、「友だち」に「大切に」される、そして「ゴールドプラン」に入らないことは「友だちを大切に」しないことで「友だち」に「大切に」されないことでもある、という話の進め方、突飛ですか。このように読めるように作ってあるCMだと思うんですが。多分このCMを「いじめ」を助長するとして問題視している方たちは、私と同じここにひっかかって、私が気味悪がっているだけの所に対して怒りを覚えているのだと、思います。
③「ごきげんよう」の使い方が間違っている
人さまと同じことを何度もしかも拙く言っても仕方がないので、私の本題はこれです。
マリア様がみてる』に注釈をつけている一回目か二回目くらいでも言いましたが、「ごきげんよう」は挨拶です。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」のどれにでも当てはまりはしますが、挨拶です。だから、会った時か別れる時に使います。会話の最中には使いません。しかし、このCMは、テニスのラケットを抱えて雑談していたとおぼしき四人の女性(少女?)がおそらく会話の途中に「ごきげんよう」と突然口走るところから始まるのです。おかしいじゃん。
もし画面のこちら側、つまり視聴者の存在を意識して「こんにちは」用法の「ごきげんよう」という挨拶から始めたいのなら、続く台詞は「じゃ、〜〜」という今までの続きのような始まり方をしてはならないのです。「じゃ、〜〜」という言葉を生かして、CMに映る前から時間が続いていることにしたいのなら、「ごきげんよう」はCM中に彼女らの誰かを去らせてその際に「さようなら」用法で言わせるべきだし、あるいはCMの開始と同時に誰かを改めて会話に加わらせて「こんにちは」用法で挨拶をさせるべきでしょう。気持ち悪いんですよ、誰が会話の真っ最中に突然誰にともなく挨拶しますか。知らないなら知るまで使わないでいただきたいですわ。
でも、テキストの誤りを指摘するよりもどのような意図でそのテキストが作られたかを考える方が幾分建設的ですし、そのテキストがそのように作られていることによって何が言えるのかを考えるのはもっと建設的です、多分。だからここで私がすべきなのは、「ごきげんよう」が会話の途中に差し挟まれていることによって何の表現が可能になっているかを考える、ということでしょうが、やっぱり気持ち悪いものは気持ち悪いのです。もしかして私、ものを考えるのに向いていませんか。でも、文豪の小説だって誤字は「ママ」と横に表記されて誤字扱いされてますし、やっぱり誤字や誤用を診断することも必要ですよね。