思い入れ。

平成狸合戦ぽんぽこ [DVD] となりのトトロ [DVD] 耳をすませば [DVD] 千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

左から、
高畑勲平成狸合戦ぽんぽこ
宮崎駿となりのトトロ
近藤喜文耳をすませば
宮崎駿千と千尋の神隠し

先週金曜日、日テレ系列の「金曜ロードショー」という番組で、アニメ映画を放送していました。毎年数回必ず放送されるスタジオジブリ作品の一作、『平成狸合戦ぽんぽこ』です。『平成狸合戦ぽんぽこ』の梗概は以下です。
1970年代(推定)、東京のベッドタウンとして宅地開発の進む多摩丘陵里山に住む狸たちは住み処と食物を奪われ生存が危うくなってようやく人間に対する反撃を企図する。先祖伝来の化学(ばけがく)を駆使し、狸の本場(?)四国から長老を招聘し、開発工事の邪魔をし既に居住を始めた人間を脅かす。狸は主に妖怪に化けるが、70年代(推定)は日本で最も科学万能合理主義が横行した時代なのでびっくりするほど軽視される。末期的には、一部の急進的な集団が力に物を言わせて機動隊と対決して玉砕し、また別の一部の最も力弱い集団が現実逃避的に踊り念仏集団と化し、最後に生き残ったそれ以外はある朝幻術を使って多摩丘陵に往年の風景を一瞬間だけ再生させ、散り散りになる。あるものは僅かに残った緑地に住み、あるものは人間に化けて人間社会に入り込む。
平成狸合戦ぽんぽこ』は、日本各地の里山における宅地開発とそれによる自然破壊に問題をおいている。ただし、その問題にする仕方が前時代的で、タイトルには「平成」とつけているにも関わらず狸の抵抗は学生運動的である(ゲリラとかゲバルトとか座り込みとか(?)暴力的な抵抗運動が警察とか機動隊とか(?)の排除の対象になるのは当たり前だよね(多分))。『平成狸合戦ぽんぽこ』が、それ以外のジブリ作品(『ゲド戦記』は除きましょうか)に競べて人気が低そうな印象を受ける、つまり「『ぽんぽこ』好き、ジブリの中で一番好き」って言ってる人が少ないのは、この辺に端を発しているのではないかなと、私は思う。
この文体、すごく書きにくいので、この先の文章は文末を「です・ます」体にしようかな。
確かに、先に住んでいたものたちのへの配慮を欠いた宅地開発は問題がいろいろあるでしょう。「自然破壊」って名前で呼ぶと胡散臭く感じるけどそれだって問題のひとつです、確実に。でも、それを声高に、私の好きな言い方で言うと大きく振りかぶった感じで、主張すると、反発されやすいようにも思うし、なにより現代の観客にとっては終わった問題を再び問題視して騒いでいるようにしか見えないのではないかと思うのですよ。この点、同じように奥多摩近辺を描いた『となりのトトロ』は、かつてあった農村風景を郷愁を誘う描き方に徹して作られているので、『平成狸合戦ぽんぽこ』に比べてさらに古い時代を描いているにも関わらず「古くさい」感じがあまりしないのです。ただし、『平成狸合戦ぽんぽこ』にも、郷愁を誘う描き方で表現されている箇所があって、それが終盤の多摩丘陵の風景を一瞬間蘇らせる幻術のシーンです。このシーンは、観客が、失われたものに対する思いを狸と共有できる唯一のシーンではないかと思います。文句を言わずに涙を誘われるシーンではないでしょうかね。もちろん観客にもよるのでしょうが。
それから、先ほど狸の抵抗運動が全く学生運動だ、と言いましたが、それとは別に、暴力的でない狸たちも含めて全体に見てみると、なんとなく幕末期の日本を髣髴とさせませんかね。まず、宅地開発は急進的に開発と近代化が進む日本、それに暴力的に対抗しようとする一部の集団は「新撰組」なんかに代表される一部の武士集団、それから民衆の中でも一番力のないあたりがおどりながら何もかもを放棄する「ええじゃないか」節、それ以外つまり最も普通の者たちは新しい時代に馴染むしかない一般人です。どうでしょうか。言うだけだとそれほどでもないかも知れませんが、実際に映画を見ると衣装とかも含めてそんな感じです。
ところで多摩丘陵と言えば、無事に宅地開発が終わって人が生活するようになったあとの映画もスタジオジブリの作品にはあるんですが、ご存じでしょうか。えーと、近藤喜文耳をすませば』です。いや、もちろん推測です。なんか似てない?みたいな感じで。あとは、宮崎駿千と千尋の神隠し』で千尋が引っ越していく先は坂の多そうな町で、これもまたよく似ています。
こういう話、ぺらぺら喋るのってすごく楽しいですよね。