賛否両論。

日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1) 小松左京日本沈没』。
2006年版の映画(樋口真嗣監督のやつ)に、ネット上での評価が割れていますね。私がそれらのほんの一部を読んで思ったのは、恋愛映画とかヒューマンドラマとかが好きな人は、いい映画だったとほめている、という、ごく普通のことでした。鑑賞中私の左隣で鼻をすすっていた婦人みたいな人がほめてるってことですね。他には、原作が好きな人がけなしている、とか。面白くなかったけどいいところを探しているみたいな人は多分樋口監督のファン、とか。違ったらごめんなさい。私? 私はヒューマンドラマとラブコメにはなるだけ近寄らないようにしてます。それではいかんということで「いい映画」を勧められたら見るようにはしてます。でも、『日本沈没』を鑑賞してて、最も気になったのは、「メガリス」ってなによ、プレートは潜っても液体に戻らないのかしら、と、地殻の下部みたいな温度の高いところに「バクテリア」なんか住めるのかしら、と、太平洋プレートを切ったらその反動でユーラシアプレートがはね返らないかしら、はね返らないにしてもプレートを切るほどの爆破を行ってその振動で日本列島のみならず隣の半島や大陸までを巨大な地震が襲わないのかしら、と、いうことでした(端折ったにしては多いわね)。だいいち列島が沈まなければそれでいいという根性が気に食いませんが、とやかく言っても仕方ないですね。子役の女の子が演技派でした。それがわたし的見所です。私は『ミニモニ。じゃムービー』が好きなので、監督を悪く言いたくありません。だから、『日本沈没』が私の好みでない映画に仕上がったのはスポンサーとか監督以外のおとなの思惑が複雑に絡み合った結果だと思うことにします。テレビドラマみたいな真実味のない恋愛部分にすごくたくさんの時間を割いて映画自体を寒く痛く仕上げてられたのも、しかもそこに大根役者を配して寒くて痛い以上に眠く仕上げてられたのも、みんな代表者に名前のあがってる監督でも見てる私でもないどこかの誰かの大きな力がはたらいたせいなんだと。
そうそう、『アルマゲドン』に似た映画だという評価を結構見ましたし、『アルマゲドン』と『デイ・アフター・トゥモロー』を足して三で割った映画だという評も見ました。わたし的には、その二作品に『ザ・コア』も足して四で割った感じ、ということで。……そういってみると、好きな映画になる気がしてきました。もともと私、問題山積SF映画(バカSF映画とも言われましょうが)が大好きなので、この『日本沈没』が嫌いなはずはないのです。なんで日本の映画になるとこうも評価辛く冷たい感想しか抱けないんでしょう。見てる間は確かに楽しかったのです。崩壊する日本列島とか各都市とかの様子が。噴火する火山帯とか、飛行機に向かって飛んでくる火山弾とか崩れ倒れるビルとか、沈む大都市とかひび割れる大地溝帯フォッサマグナ)とか襲いかかる大津波とか崩れる山腹とか落ちる橋とか灰が降るとかそんな中何故か無事な田舎(会津地方)の消えゆく美しい田園風景とか、破壊っぷりも気持ちがいいですし失われるものに対する感傷もそこそこの作用で浸れます。何も科学的に問題が山積であるような気がすることだけでその映画自体を嫌いにならなくてもいいんですよね。うん。リアリティなんてあってもなくても構わないものですし。それに人類はまだ地球について知り尽くしたわけではないのだから科学的に本当に絶対に問題が山積なのかといわれたらそんなことはないのかも知れないし。