江国香織『泳ぐのに〜』読了。

泳ぐのに、安全でも適切でもありません (集英社文庫)
江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』集英社文庫、2005年2月25日初版発行。
長いタイトルだな、もう。

江國香織はフランス人に違いない。フランスの町並みの描写に気合が入っているのはまだいいとして、日本の風景を描いているにもかかわらず妙にその描写される風景がフランスっぽい。夜景の見えるレストランとか、生活感というか生活している匂いみたいなもののまったく感じられないマンションやアパートの一室とか、次に逢うときには花束を持って現れそうなしかし今はあまりさえないことになっているけれども登場人物として最低限必要(江國香織の小説基準で)な魅力は持っているし顔も最低限必要(江國香織の小説基準で)なくらいはいい壮年男性(壮年男性だけど壮年男性が持っているセクハラの匂いとか存在自体が嫌とか言われる空気感とかそういうものはまったく持っていない)とか。女の子がたまに日本人にしか見えないときもあるけど、それでも周囲は素敵過ぎるからフランスに違いなく、周囲の人物は素敵過ぎるからフランス人に違いなく、そこに混ざって素敵ライフを満喫する外見は東洋人のフランス人みたいな微妙な空気を漂わせている。悪口じゃないよ。江國香織がすごいのはそして私が江國香織を徐々に苦手とするようになってきたのは、無味無臭(っていうか、まるで匂いがないわけじゃないと思うんだけど、リアルな「匂い」を感じるとか評されるし、季節の風や料理や清潔感のある薄化粧の匂いは描写されるけど嫌な匂いはまったく描かれないしいい匂いも私はこの文章から感じることはできない、って感じで無味無臭ね)をそれと書かずに表現してしまえているからなのだな。生活の匂いのまったくしない生活、顔を背けたくなる類の男の匂いがまったくしない男、経血の匂いのしない月経のある年齢の女。彼女に書かせれば二人分の汗と一人分の精液が自分の腹の上で全部混ざっているような強姦でさえも素敵なセックスになってしまうように思える。そんな素敵な文体。そんな素敵な風景。何もかもが嫌なことではない、そんな素敵な風景、そんな素敵な文体。