『少女革命ウテナ』一巻(後日二巻も)ゲット。

少女革命ウテナ (1) (ちゃおフラワーコミックス) 少女革命ウテナ (2) (ちゃおフラワーコミックス)
左から、『少女革命ウテナ(1)』『少女革命ウテナ(2)』
どちらも、さいとうちほビーパパス著、小学館ミックス。

細かいところはまた後に。
・学園の外の世界の存在。
セクシュアリティの問題。
アニメとおよそ同時進行という形のメディアミックスだったということなので、アニメとの比較は重要だと思うの。

アニメ版『ウテナ』の学園の外は、初回の、空から鳳(おおとり)学園を見下ろしたカットに周囲の風景(町並み)が写り込むというもの。以降、「理事長の娘」という女性が出没するがその女性が学園の外から中に入るシーンはなく、あたかも忽然と学園の中に湧き出たような出現であったり。「旅に出た」という設定の下に「インドの山奥」とかが描かれるが、学園からその地までの行程(いや、むしろ学園からの出発か)が描かれてはいない。
そして最終回、自分の意思というもの(自我とか)を獲得したアンシーはウテナを探す旅に出るため学園を後にするが、アンシーが踏み出す門の外は、白く茫漠としたただの空間である。踏み出す先が空白であるという表現は大塚英志が『少女民俗学』の中で仔細に述べている。真っ白で何もない「外の世界」は、「学園」という繭の中に囲われて外を見る必要なく、あるいは外を見ることを拒絶して過ごしてきた少女たちにとっての得体の知れない実体のない、踏み出してゆくべき未知の世界である。大塚氏が例として挙げているのは『ホットロード』(紡木拓(つむぎたく))。ラストシーン、校門の外の真っ白な空間に、今日卒業した「先輩」たちが自動車に乗って出てゆく。見送る主人公にとって学校の外はまだ何もない空間でしかない。また、      著『      』(雨だれ的なやつ。黒澤亜里子『屋根裏の少女たち』?とかそういうのだったかと)にも少女たちの踏み出す空間が真っ白であるということについての記述がある。吉屋信子『屋根裏の二処女』(「処」は旧字)のラストシーンでは、「屋根裏部屋」を追い出された少女たちが外の世界に果敢に踏み出してゆくが、その先の記述はなく、少女たちは屋根裏部屋に「さようなら……」と別れを告げながらフェイドアウトしてゆく。アニメ版『ウテナ』の最終回でアンシーが踏み出してゆく「学園の外」は『ホットロード』の「校門の外」や『屋根裏の二処女』の「屋根裏部屋の外」と同じ種類の空間だ。出て行ったアンシーのその後もまた描かれることはないからね。
これに対してコミックス版『ウテナ』は、「序章」に「学園の外」が描かれている。最終回はまだ見ていないから(微妙な辺りで終わるらしいけど)最終的に外側がどういう扱いになるのかはまだこっちに置いておくけど、学園の外の世界というものがアニメ版とちょっと違うんじゃないかな、と思ったということだけ、言いたかったの。


セクシュアリティの問題はさらにまだ何も言えない状態だけど、ちょっとだけ。掲載誌(『ウテナ』の掲載誌は『ちゃお』。当時は小学校低学年から中学年向け雑誌で、セックスについての記事や作品はほとんど存在していなかった(多分)。現在もおよそ同じ)の問題なのか、アニメ版では頻出していたBLっぽいカット(終盤ではベッドシーンもあり)や百合っぽいカット(二件ある)といったホモセクシュアルとかそれに類する関係を描いた表現、ブラコン(三件;)やシスコン(こちらもベッドシーンあり;)といった近親相姦を描いた表現、などが、わりと毒のない関係性として描かれている。