日記が書きたい。

細雪(上) (新潮文庫) 『細雪谷崎潤一郎

ただ今演習で使っています。
一回につき五章で、自分でもなんか考えてみるなどすればよいのかと、思ったりしていますが、何分にも自堕落なもので。

谷崎潤一郎細雪』。
舞台は昭和前期、第二次世界大戦直前、兵庫県芦屋市。
蒔岡四姉妹の話で、主に三女雪子の見合いと四女妙子の恋愛、それを眺めたりお膳立てしたりする次女幸子とその夫貞之助、旧態依然とした上流階級の非現実的な生活についてのドラマチックだが微温的で妙にめりはりの少ない印象を受ける描写でできている。
そのだらだらした非現実的な話が戦時中に書かれたため、時局に合わないとの理由で発行禁止になっている。
長女鶴子は船場の本家に婿を迎えて継いでいる。そして、あまり登場しない。
次女幸子は、夫(婿養子)貞之助と長女の悦子と共に分家して芦屋に住む。
三女雪子は、条件がうるさくて嫁入り先が決まらず三〇になり、手に職もなく、本家にも居づらく、また幸子の娘悦子をお気に入りのことから芦屋に住んで、まったくモラトリアムである。
四女妙子は、かつて起こした恋愛スキャンダルや姉雪子が詰まっていることから結婚もせずに趣味で始めた人形作りをお嬢さん仕事とは云え職業にしてしまい、芦屋の近辺に仕事場を借りて貰って四割ほど自活しており、男性と恋愛遍歴を重ねている。
幸子の夫貞之助は谷崎の作品には珍しく(本当はそんなことはないがそう見える)性的な視線を持ち合わせない至って普通の人物である。職業はサラリーマンだがそんなことは本題とは何の関係もない。
こういった人々が、微温的に裕福に非現実的に日々時間と金銭を浪費して暮らし、季節ものなどのイベントなどが次々繰り広げられ、長女をのぞく三姉妹が美しく着飾り、世事にあまり囚われずに過ごし、その合間に雪子の見合いがことごとくうまくいかないと云う描写が畳み掛けるようにしかし時間の流れを感じさせないようなやり方で挟み込まれてゆく。

梗概じゃなくて紹介で。
この作品はどの一部分をとっても全体と同じような構造に作ってあるのではないかと、思える見た目。現にひと言で紹介した上の文章は、第一から五章を紹介した担当者の梗概とそう大きく変わらない(勿論文章の美しさとか作品に対する理解度とか、そういう違いはあるにせよ)。
つまり、日常生活をだらだら書きつづって、「事件が始まって終わる物語」ではなく「終わりなき日常の任意の一点からまた別の任意の一点までを切り取った話」だと云えるのではないかと。
だからってドラマ性がないかというとそんなことはなく、地味にいろんなドラマが起こっては解決したりしないまま有耶無耶にされたり、ということを延々繰り返してその合間に雪子がお見合いに失敗しているのだ。
どこからどこまでも日常的で、微妙にリアルなんだが、全体的に全然リアルな印象を受けない。これは登場人物の設定とか描写とか事件とかが私たちの日常とは関係ないと云うだけのことではあろうけれども。