10歳の屈託。

金曜日にね、『となりのトトロ』を鑑賞しました。授業の一環です。都会の子どもが田舎へ引っ越して、純真無垢な心のために森の妖精に出会う、というお話です。4歳の幼児メイちゃんが画面で動く度に、「可愛い〜」「ちょう可愛い〜」と騒ぐ20歳くらいの娘さんたちが印象的な観賞会でした。
でもここで重要なのは、メイちゃんではありません。お姉さんのサツキの方です。で、重要な場面は、前から数えて三つ目辺りの、トトロにもらった木の実の芽が出る夜中のシーンです。
このシーンでは、夜中にふと目を覚ましたサツキが縁側から庭を見ると、木の実を埋めた辺りで、三匹のトトロが行進したりなんかいろいろやってるので、サツキはメイを起こし、二人で庭へ飛び出します。裸足です。で、トトロと共になんか妙な動きでおまじないをかけ、木の実を発芽させます。芽の前でさらになんらかのおまじないを続けると、芽はぐんぐん伸びていくつもの木が育ち、一体化し、一つの巨大な木になります。木が十分育つと、大トトロはどこからか紐で回す独楽(コマ)を取り出し、回します。ブーンと音を立てて回る独楽に、大トトロは飛び乗り、くるんと回って皆に両手を広げます。中トトロと小トトロ(水色のやつと白いちっさいやつね)がぴょんぴょんと大トトロにくっつき、続いてメイも、大トトロに飛びついて腹(?)にしがみつきます。大トトロは、さぁ、と促すように、サツキの方を向きます。ここでサツキは、二秒ほど、逡巡します(迷います)。でもトトロが自分を待っていることを理解して、笑いながら飛びつき、大トトロは小さい生き物たちを腹に乗せて空中を散歩します。で、田んぼの上を飛ぶ時にサツキが「メイ! わたしたち、風になってる!!」と名台詞を残すのです。
この、サツキの、二秒間の逡巡に、私は注目します。
サツキは、物語の始まりからずっと、メイの姉として登場し、振舞います。サツキとメイの母親は病気(多分結核?)で入院療養中ですから(退院後の母親の病気の療養のために、一家は田舎へ引っ越してくるのです)、サツキはこの家の母親替わりとしても機能しています。ちょっとはにかみながらもはっきりと、家の管理者たる隣のおばあちゃんに挨拶します。家にでる妖怪らしきものに対抗するために窓に駆け寄り、父親が家具運搬中に転びそうになったら駆けつけ、水を汲んで井戸を動かすなど水回りの整備に携わり、台所用品を片付け、勝手口からの客(カンタだけど)に応対します。朝ご飯と、三人分(父親とメイと自分)の弁当を作りますし、父親が不在の日にメイを隣の家に預けるのもサツキです。そのメイが学校に来ちゃった時に引き取って、帰りの道で雨が降ったら手を引いて走り、メイが転んだらハンカチを出して顔を拭いてやり、父親を迎えに行ったバス停でメイが立ったまま寝ちゃいそうになったらおんぶしてやるのもサツキです。メイのお世話をすることで、映画の中でのサツキは機能しています。
だからサツキは、自分が主役的に扱われるのに慣れていないのです。母親の病院にお見舞いに行って、母親に褒められるとものすごく照れますし、母親に髪を梳いてもらうのも、テレテレだし、なんか一種恍惚とした表情です。普段はメイの髪を結ってやる方の人で、自分の髪を人に触ってもらうことはないのです。だから照れるのです。それに、トトロに飛び乗るのは、小さい子どもであるメイの役で、自分はその役をもうずいぶん昔にメイに譲っているからやらないしできないのですよ。なのに、トトロは自分にも両手を開いている、これはサツキでなくても逡巡するというか、一瞬戸惑うところかな、と。え、私もいいの? という、逡巡。と、いいんだ、メイだけじゃないんだ!私もやっていいんだ!嬉しい!! って感じで、満面の笑顔なのかな、と。
うがちすぎですか? でも長女ってこんなんじゃないですか? 特に母親がいないとか病気とか不在がちとかのおうちの長女。かなり小さいうちから屈託が生まれちゃって、楽しいことを純粋に楽しんじゃいけない気分になったりするんじゃないでしょうかね。この楽しい時間も、妹がきたら、妹が持っていっちゃうし、妹が主役だし、ていうかそろそろ晩ご飯の支度する時間だし、みたいな。だから私はサツキを見るとちょっと胸が痛いです。
 
後日(6月17日)、はっと気づいた。この映画の公開、1988年だよ。ちょうど20年前だ。今観ても古びて見えないのは、やっぱりいい映画なんだろうな、と。すごいよね。しかも最近この映画観ると涙が出るのよ。風景とか、子どもとか、いろんな何かに。……年取ったかな。