審査員。

高校生スピーチコンテストの審査員をさせていただきました。面白かったです。言っちゃいけないことだけど言いたくて仕方なかったのでここで言いますが、作文とかスピーチとかいうものは、やっぱり好みとか好き嫌いとかいうものがありますね、ありませんか? 
日本があんまり好きくないって言われても、じゃあ勉強すんなよとは思わなくて、嫌いなのに勉強してるとかえらいよねと思います。興味深々なのは伝わるんです。正の興味か負の興味かはこの際はこっちの棚にあげておくことにしています。好きな人も嫌いな人もどちらにもたくさんいるから、そこはとりあえず後回しです。
そんなことより興味も何もないのに道具として日本語やってます的なスピーチが気持ち悪かったんでした。もちろんそんなことはっきり言うわけないですが、なんかグローバルな人間になるためにもっと努力したいとか、私たち若者が意識を改革すればこの国は世界に羽ばたく国になるでしょうとか、そういうのがあまり好きじゃないんですよ、私、っていうのがこの度よくわかりました。
もちろん好き嫌いで点をつけるわけではありませんから、好きでも嫌いでも楽しくても気持ち悪くても、文法とか発音とかがよかったらいい点だし悪かったら悪い点だし、ってつけてきました。ストレスたまるわー。なんで上に書いたみたいな作文が気色悪いかって、審査員に受けのいいように書こうとしました、みたいにしか見えないからです。おえー。しかも、同じ学校の子二人が同じような(つまり二人まとめて上のような内容だった)文章用意してきて握りこぶしとかで高い声で語るのがもう、っていうか表彰式でその子たちと引率の先生を見てたら、あぁ、あの先生の指導の通り書いたんだなーって感じがひしひしして仕方ない、ってか、先生が指導したっていうより、その子たちが先生に受けるように書いたんだろうなって、……なんでそんな風に思うかって言ったら、その子たちの気持ち悪い点はみんな昔の私の特徴そのままだからです。これは、まさしく、字義通り、同族嫌悪。海外に来て十年以上若い人たちに同族を見つけるとは思ってなかった罠です。あー、いい子ちゃんだけどいい子ちゃんが嫌い、って話をしたので書いてみたしだいです。
 
で、審査員席の背後の窓が壊れてて、常に五センチくらい空いたままで、風がぴゅーぴゅー吹き込んでて、週末からひいてた風邪が素敵に悪化するのは明日の話です。